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最近思うこと(日記・エッセイ)
2002.12.29(日) 外国へのEメール

 
海外の人への年末年始の挨拶は、クリスマスカードになるが、私は、日本のお年玉付年賀はがきをそのまま使って、パソコンで年賀状を印刷して送る。年賀状を印刷屋に頼んでいたときも、そのまま使った。パソコンなら少し英語のコメントを入れたりしている。写真入りだから、結構評判なのだ。郵便料金は世界中一律70円なので、20円切手を貼り足して、「AIR MAIL」と赤で書くだけでいい。
 さて、今年もその方法で12月10日頃に発送したら、1週間ぐらいして、一通のEメールが届いた。メールの発信人は、1979年にロンドンで一緒のホームステイだった4人の仲間の一人、ドイツの女性で、その後結婚されたが毎年欠かさずにクリスマスカードのやり取りだけは続いている。今回初めてメッセージがEメールで来た。文章は英語だった。とりあえずメールが届いたことだけでも返事をしようと思うのだが、英語が苦手な私は、niftyの無料翻訳サイトを初めて使って、日本語を英語に翻訳し、それをメールに貼り付けて無事に送ることが出来た。北京旅行に行ったこと、万里の長城のこと、1万人の第九、年末年始の休みのことなど、思う存分に日本語で文章を書くことが出来た。
 インターネットは世界中につながっているので、こんなメールのやり取りは当たり前のことなのだろうが、改めて海外メールの体験をしてみると、感心する。なお、これが海外メールの初体験ではなくて、今までに、海外勤務の日本人とのやりとり、ニューヨークのホテルを予約するときのやり取りにメールを使った経験はある。
 今年もあと1営業日となった。


2002.12.22(日) フィギアスケート

 
昨日の夕刊ときょうの朝刊を見て、思い立ったのがフィギアスケートの全日本選手権大会。当日券があることを今朝電話で確認して、京都・西京極にある「京都アクアリーナ」へ向かった。阪急電車一本で行けるので近く感じる。折りしもきょうは、同じ西京極の陸上競技場発着で全国高校駅伝がある。女子のスタートした直後だった。競技場から街へ応援に行くために学校の小旗を持った生徒たちとすれちがう。
 「第71回全日本フィギアスケート選手権大会」といえば、名実ともに国内の最高峰の試合となる。かつて、伊藤みどりが8連覇した。ここ2年は村主章枝(すぐりふみえ)が優勝している。男子では本田武史が本命。今大会の注目の的は、私個人的にも注目していて、是非この目で見たいと思って、きょう行く気になったのだが、安藤美姫(あんどうみき)の4回転ジャンプだ。先日外国の大会で、世界の女子で初めての4回転ジャンプを決めたというニュースはあったが、映像では見ていない。日本の大会で初披露となる
 入場料は2000円。もっと高いものかと思った。外国の選手が出る大会ではないから安いのか。でもこの会場は比較的近くで見られるし、それに今日一日で、男子フリー、アイスダンス・フリー、女子フリー、と盛りだくさんのプログラムだ。こういう大会をテレビで見ると、1〜2時間の番組となるが、今日はナマで、朝の9時半から夕方5時半まで。たっぷりと鑑賞できる。と思いきや、鑑賞ではなくて、観戦と言ったほうが適切だ。私は、自分もスケートをするし、よくフィギアスケートはテレビで見る。長野オリンピックのときもフィギアスケートの入場券だけを申し込んだ。もちろん外れたが。実は、ナマでフィギアスケートの競技を見るのはこれが初めてなのだ。
 男子は本田武史が圧倒的に1位。他を寄せ付けない強さを感じる。4回転ジャンプを失敗したが関係ない。
 アイスダンスは5組だけの出場だ。初めてナマで見る醍醐味。

 さて、見どころは、やはり女子だ。一人4分、24人の演技には、3時間以上かかる。前日順位の下位の選手から6人ずつの区切りで順になっているので、見ていてもだんだんボルテージが上がっていくようだ。6人ずつの区切りで練習と本番。最後の6人のグループに、前日2位の安藤美姫がいる。
 その前に、12歳、小学6年生の浅田真央には驚いた。名古屋で山田満知子コーチについている姉妹の妹の方だが、次々と決まる高難度のジャンプに場内がどよめく。連続ジャンプというのがあるが、彼女は3回転の3連続ジャンプをやってのける。こんなのは国際試合でも観たことがない。先が楽しみだ。
 最終の6人が練習する番になった。ここは練習といっても目が離せない。6人の選手がリンクの中で入り乱れてジャンプを決める。練習なのに拍手・歓声が沸く。注目の安藤美姫は純白に金のラインのあるコスチューム。4回転ジャンプが決まる。場内の歓声はひときわ大きい。ああ、これが女子で前人未踏の4回転ジャンプというものか、と私も目の前の光景をかみしめる。一度失敗した。もう一度やったら成功した。願わくば、本番でぜひ成功してほしい。練習で4回転を飛んだ女子選手はおそらく他にもいるだろう。競技の本番で飛んだことに意味があるのだから、この大会でもぜひ決めてほしいと思うのは会場内全体の思いだろう。

 安藤の番になった。かたずを飲んで見守る。15歳、中三の子供とは思えない風格が感じられる。スケートの金属が金色だ。衣装とマッチしている。最初から次々とジャンプがきれいに決まる。中盤に、いよいよ4回転と思われる時がきた。高いジャンプで、目にとまらぬ回転で体がスピンをする。着地は、・・・失敗だった。その後も一つ失敗して、結局前日2位だった順位を大幅に落とし、この大会は5位に終わった。4回転が決まれば優勝もありうると新聞で読んだが、やはりまだ若かったか。まだ将来がある。それよりも、他の選手の出来がすばらしい。まさにバトルとも言える戦いになり、前日首位の恩田美栄は3回転半を飛ぶと新聞で読んだが、失敗転倒し、前日3位の村主章枝が完璧な技と表現力で逆転優勝。他に中野友加里など3回転半を成功させた選手がいて、伊藤みどりが3回転半を飛んだときとは違って、今はもう当たり前の時代になった。

 フィギアスケートでは、音楽が大事な要素になる。2位になった荒川静香はタイタニック。4位になったが地元京都の太田由希奈は歌劇トゥーランドットから「誰も寝てはならぬ」。すばらしいメロディーに乗って、とても印象に残る演技だった。やはりこの二人は芸術点が高い。特に太田の演技は1位になってもおかしくないほどのプレゼンテーションだった。
 入場料2000円は安かった。今夜12:45から毎日放送(TBS系)で放送がある。安藤の4回転ジャンプは、失敗のところだけしか写らないのだろうが。
 

2002.12.12(木) すばる

 
冬の南の空に見える昴(すばる)は、星の中でも特に幻想的で、惹きつけられる。
 きょう、会社帰りに、駅から自宅まで歩く途中、今シーズン初めて昴を見た。オリオン座の右上のあたりにあって、やや赤い色の6つか7つの星の集まりだ。冬は星が良く見えるので、夜空を見上げて昴を見つけながら歩く。私の視力はメガネをかけても0.7ぐらいだが、それでもちゃんと見える。
 北海道では冬の北の空に北斗七星が見えていたが、こっちでは、南のオリオン座がよく目立つ。四角の中に三つ星が並んでいる。その右上の方に昴はあるので、見つけやすい。
 去年の夏に富士山に登ったときは、夏だが良く見えた。明け方に登山を開始した直後の星空は見事だ。立ち止まって休憩している人に昴を教えてあげた。年配の男性だったが、知らなかったようだ。
 星に対する興味がそれほど強いとは思わない。バカの一つ覚えで、それだけをいつも見つけて見ているので、自然とそこに目が行くのだ。昴を見ながら小さな声で「昴」を口ずさむと一日の疲れが癒される。
 昴の見つけ方を知りたい方は、どうぞお尋ねください。


2002.12.8(日) 東京での一日

 
昨日は結婚式と同窓会で東京日帰りの一日。
 雨模様の東京に滞在したのは10時間。
 
 朝、7時33分新大阪発のひかりに乗った。新幹線に乗るのも久しぶりだ。窓の外の景色を見ていちいち反応する子供のような気持ちになる。富士山が見える席は取れなかったが、どうせ見えなかった。天気は下り坂で曇りの天気。長いトンネルを抜けると熱海の円形のホテルが見えて、次に短いトンネルを抜けると熱海の街が見える。平塚に住んでいた20数年前、ここは支社の管内でもあり、なじみの景色だ。
 東京駅からホテルオークラまでは、新橋から地下鉄に乗り、虎ノ門駅から歩いて緩い坂を登る。アメリカ大使館のものものしい警戒。私が咳ばらいをしても警察官がこっちを見る。
 オークラの別館1階で、元福岡支社の数名が待ち合わせをする。着いたらウランちゃんがいて、今ついたところだとのこと。お茶を飲んでしばしの懇談。特科実習中のカメは、ビールにサンドイッチと本格的。K納も来たところで披露宴会場へ。入社して最初の配属先が福岡支社だったM田の結婚式である。
 会場へ行くエレベーターでT常務と一緒になり、控え室へ行くと九州営業本部および福岡支社の同窓会状態となる。
 さて、M田の披露宴の内容は詳細省くが、ビデオやプロジェクターを駆使し、スピーチ、インタビューも、新郎新婦のご両親、ご兄弟姉妹がどんどん出てくる楽しいものだった。余興もここまで来たかと思わせる「クイズ・マルオネア」の完璧な演出に笑い、見とれて、おひらきにお礼の挨拶をするM田は、途中で言うことがわからなくなり、沈黙の後、「真っ白になりました」と言って、アドリブでいい話しをしていた。

 着替えをして外へ出ると、雨は本降り。銀座1丁目へ向かう。
 北海道八雲高校のクラス会、いや、3クラス合同のミニ同窓会に駆けつける。1週間前に一旦決められた日程を、私の上京に合わせて変更されたという経緯の同窓会だ。会は既に始まっていて、私は遅れて行くのだ。雨の中を少し捜した。
 店に入ると、眼鏡が曇って見えなくなった。18名の出席。卒業以来32年ぶりに会う人も。一人ずつのスピーチを聞いていると、本当に人生だなあと思える。声が大きくて口が悪い輩も昔のまま。口数の少ない私をはじめ何人かは、雰囲気に満足している。ホームページでやり取りしている仲間は、全然離れている気がしない。インターネットは不思議な力を持っている。信念を持って正義のための運動に取り組んでいる門間のパワー、2次会から乱入してハイな歌としゃべりで場をリードする水野、全ての話しにコメントを発する中川、それとなじり合うように三島の元気な声、高校時代の応援団で一番いい声だった谷口の片鱗、カラオケの歌では本領を発揮する人、幹事役のサリー、タカシ、ユッペがおとなしい部類に。
 亜麻色の・・・をユッペが歌ったら私も思わず口ずさむ。そうなんだ、みんな同年代だから、職場の飲み会のカラオケと違って、みんな同じ時代の歌でいいんだ。@がガンで大腸を30センチも切った後とは思えない元気さだが、それを、冗談とはいえ「再発する」「長くない」「葬儀委員長は俺だ」と隣で言っているキヨシの毒舌。そんなみんなで支え合いながら故郷を離れて生きている。力になるなあと思う。

 最終の新幹線ひかりに乗るために、私は8時半に2次会の店を出た。玄関まで送ってくれて申し訳ないと思いながらも、うれしかった。雨が降る中を有楽町の駅に向かって歩いた。東京駅の新幹線ホームに着くと、最終のひかりは700系の最新型車両で、席もゆったりしている。お茶を買って乗り込む。
 3時間の間、周りの乗客はみんな寝ている。話しをする声も全く聞こえない。私は、眠くも無いので、一日を振り返って余韻にひたった。
 

2002.12.1(日) 一万人の第九

 
一万人の第九に参加した。私にとっては5年前に続き2度目だ。
 一万人で第九を演ずるという企画は大阪ならではのもので、他の地域で行われたことはあっても、これほど定着して毎年開催される例は他にない。しかも今年は、20回目である。サントリーの道楽みたいなもので始まった頃は1万人の合唱は集まらなかったが、今では合唱の募集も先着順わずか数日で終了となる。参加者には、合唱を専門にしている人たちも一部いるが、大半が素人だ。オーケストラは特別に編成されたユースオーケーストラ。学生たちの選抜に、ウィーンフィルやウィーン交響楽団から数名の主席奏者が加わる。それが実にすばらしい演奏なのだ。ゲストの平井堅が第九の歓喜の歌を編曲した曲と大きな古時計。指揮は佐渡裕。
 5年前は山本直純だったが、そのときとは全く違う素晴らしい出来栄えになっている。5年前は、はっきり言っておおざっぱだった。今年の第九は本当にスゴイ出来だ。
 あまりの素晴らしさに、最後の方では感激の涙で目が潤んできて、終わったときは頬をつたってあごから落ちた。これだけ大勢の人が思いをもって参加し、色んな人が手間をかけ、たった一回の演奏で終わる。それだけに感動もひとしおだ。こんな体験ができることを幸せだと思う。ただ、これを人に話しても、わからないようだ。
 テレビ放送は、12月23日(祝)15:55〜16:50 毎日放送、TBS、RKB毎日放送、HBCなど全国ネットで。
 
 
「一万人の第九」写真
 

2002.11.23(土) 紅葉

 
トップページの背景写真を新作に替えた。京都で撮った写真だ。トップページの写真は、「万博公園が大好き」というタイトルに縛られて、いつも万博公園内で撮った写真を使ってきた。今後もそうしたいと思うが、たまには別の写真もいいのではないかと思い、今回初めて脱皮を試みた。「変革なくして成長なし」である。このサイトの成長のためには、新しい試みを忘れないようにしたい。
 さて、その写真だが、16日の土曜日、妻が前の日のテレビで見たとかで、京都の永観堂が見ごろだと言うので、特に予定もなく、仕事はあったが後回しにして、昼前から出かけた。
 車はきっと混雑するだろうと予想し、電車で行った。京都の市営地下鉄は観光客でラッシュ時並みの混雑。
蹴上で降りて、人の流れについていく。人が多い。南禅寺あたりには修学旅行も多い。立っているバスガイドさんに永観堂はどっちかと尋ねたら、ていねいに教えてくれた。「人の流れについていけば間違いありません」という言葉だけ覚えておいて、言われた方角に進む。
 その途中の右側に見えたもみじが特にきれいだったので、足を止めて撮影した。ここはどこかと言ってもよくわからないので、南禅寺から永観堂へ行く道の途中としておく。
 永観堂は寺の境内全体にもみじが多いので、どこで見てもきれいだが、特にきれいな木は、こういう何でもないところにあるものだ。永観堂の写真は、別途写真集のページに掲載する。

 きれいな紅葉を撮った写真を現像に出して、出来上がったときに実はあまり嬉しくなかった。色がきれいに出ていないのだ。別の写真屋に焼き増しを出したらとてもきれいに色がでた。それをスキャナで撮っているので、やはりまたいい色がでていないのだが、ここらで手を打つことにする。写真の出来栄えがプリント次第で差がつくことをつくづく味わう体験であった。


2002.11.17(日) 大阪城

 
きょうは福岡から遊びにきた支社のお二人といっしょに大阪城へ行った。私にとっても久しぶりの大阪城。お二人は初めてだそうだ。気温が20度にもなる良い天気で、汗ばむほどの陽気だ。天守閣の金色の部分がキラキラと太陽に輝いて美しい。こんなに美しい大阪城は初めてだ。5年前に改修工事が行われたのだが、その後何度か見たがここまできれいには見えなかった。
 大手門から入る一般的なコースを進むとき、道の左右に菊の花が置かれている。絢爛豪華な大きな懸崖菊も随所にあり、普通の大きさの懸崖菊も、集中せず、所々に間隔と配置場所の工夫をもって置かれていて、芝の緑や木の葉の色とのコントラストが、ひとつひとつの個性を見せている。陽のあたっているもの、いないもの、葉が色づいて少なくなっている木で斑に日陰ができているもの、枝分かれに変化のあるもの。菊花展や菊人形をこれまで幾度となく見てきたが、私にとって生涯最高の菊の展示だった。
 天守閣の上からの眺めが、これまた最高だった。赤や黄色の木々が快晴の陽を燦燦と浴びて、暖かい表情をしている。34年前のことになるが、高校の修学旅行でここに立ったとき、それは10月だったのでまだ緑の景色だった頃、素晴らしい眺めを見て、隣にいた担任の田中慶昭先生が「この眺めを見たら天下を取った気分になるね」と言われたのを今でも覚えている。豊臣秀吉の心境を私も味わったのだ。それから1年半後に大阪に住むことになるとは思っていなかった。 (大阪城のパンフレット写真)


2002.11.16(土) 福岡との時差

 
日本全国、同じ日本標準時刻だから時差はないのだが、陽の高さは明らかに違う。相撲の放送で、午後5時17分、福岡国際センターから博多港のベイサイドプレイスを写した画像が中継されている。夕暮れが近いがまだ明るい。大阪では窓の外は既に暗い。東京なら真っ暗のはずだ。
 福岡と大阪は経度が5度違う。東京はさらに5度、根室はさらに5度。経度の5度は時間にして20分だから、福岡と大阪は日没が20分違うことになる。東京は40分、根室は60分。こうして考えると日本も東西に広い国なのだ。日本の西端は台湾に近い与那国島。東端は意外に北方領土の択捉よりもさらに東にあたる島が南の方の小笠原諸島の東にある南鳥島。経度の差は約30度。時間にして2時間、つまり朝日が昇る時刻が東西で2時間も違うのだ。
 しかし、日本では時刻は一律。アメリカは、本土だけでも4つのタイムゾーンに分かれてる。移動するたびに時計の変更が面倒だから、やはり日本の方法がいい。
 私の高校時代のクラブ活動は「地理研究部」。地図を見るのが好きだった。今でも常時手の届くところに地図帳を置いている。

 京都の紅葉の名所、永観堂へ行ってきた。境内全部がもみじと人だった。
(拝観パンフレットと写真)


2002.11.12(火) 「140メートルのクレーン」と息子のテニス

 
10日の日曜日、どうしても、あのエキスポタワーの解体工事現場を見たくて、朝早くから万博公園へバイクで行った。エキスポタワーを越える高さのクレーンを、この目で見たかったのだ。それまでにも時おり電車の中から見えたし、中央環状道路からも見えた。
 いつものように、階段を登ってタワーの下に近づくのだが、私はひっきりなしにタワーの方を見上げながら登る。間近に迫るほどにその迫力は増し、クレーンの角度も変化する。真下に来ると、カメラの画面には収まりきれない。離れたところから写真を撮っておいた。(写真集参照)
 高さ140メートルのクレーンである。タワーの高さを越えるという一見当たり前のことだが、これには驚く。

 その前日の土曜日、大学東西対抗庭球大会なるものを見に、妻と二人で車に乗って江坂へ行ってきた。三男が出場するのだが、本人は親が見に来るなどと予想だにしていないし、実際、親兄弟らしい応援者は誰も来ていない。朝10時から開始と聞いていたが、行ったのは午後だから、息子の応援ではなくて、何となくテニスを見に行くつもりだった。この大会は、大学のテニスサークル(同好会)の、関東と関西の対抗戦である。
 ところが、どうも観ていると、息子が試合をしているように見える。4面先のコートなのでよく見えないが間違いなくそうだ。本人に緊張を与えてもいけないと思い、コート内の少し離れた場所に近づいて、柱の陰から観戦した。男子ダブルスで1年下の後輩とのコンビだ。妻は、うちに泊まりに来たこともあるコだと言う。試合の方は負けてしまったが、私たちは本人に気付かれないように元の場所に戻った。
 三男が中学で軟式テニス、高校から硬式テニスをしているのは十分に承知しているが、実際にテニスをしている姿を見るのは、小学校の頃に遊びでしていた頃以来である。帰宅後に本人は私たちのことを試合後に気付いたと言っていた。ファーストサーブがほとんど入らない状態だったので、さては我々が余計な緊張を与えたのかとも思ったが、そうではなくて、相手が強すぎたようだ。オール関西の代表になれたことには満足しているらしい。

2002.11.12-2002.12.29