2012.4.5(木) 新生活  

 3月で定年退職。新年度改めて就いた仕事の勤務時間は、やや不規則だが、朝にゆとりがあって、実は今、午前9時台に自宅でこれを書いている。慣れるまで多忙感は脱しきれないが、周りの方々がとても良い人ばかりなので気持ち良く働き、順調にきている。
 
 昼休みの昼食は梅田かいわい。一人で食べることになるので、いつも気軽な安い食事だ。だいたい茶屋町付近。

 定年の記念にでもないが、3月25日に妻と二人で、ザ・シンフォニーホールのファミリーコンサートを鑑賞。1年ぶりのこのホールは、ステージと客席が一体になれる雰囲気があって、私は大好きなのだが、いいコンサートだった。私は、やはりこのホールが世界一の良い音楽ホールとの評価を変えない。

 3月中旬に、これは定年前の記念旅行みたいなもので、長崎のハウステンボスの近くにいる次男夫婦と孫に会いに行った。我が家の関係では希少な女の子2人の孫(3歳と、0歳4カ月)が私たちを迎えてくれた。3歳の孫はハウステンボスを案内してくれた。次男のお嫁さんの実家にもお邪魔して、1泊2日の有意義な旅行。飛行機とレンタカーで簡単に行ける所なのだが、意外にこの距離は遠いのだ。生まれた時は大阪だった3歳の孫は、今度妹がもう少し大きくなったらユニバーサルスタジオへ一緒に行こうと楽しみにしてくれている。

 大阪桐蔭高校がセンバツで優勝した。昨年から何度か見てきたこのチームの構成は、投手の藤浪は球が軽くて制球難があり、打線も普通だった。春になって全てが少し成長した結果だと思う。もう一つ大阪の履正社は私の長男の出身校でもあり注目して応援していたが、投手はじめ全てに力量不足。2回戦で敗退。夏に向けても課題が多い。
 大阪桐蔭はブラスバンドも注目して見ている。既に全国レベルだ。昨年のブラスエキスポ(毎年5月に万博公園で開催)で、バラ園の前でミニコンサートのとき、オペラ座の怪人の曲の演奏は圧巻だった。今回の甲子園の応援も立派だったに違いない。
 光星学院は、青森の地元代表として意識しながら戦ってきたが、あと一歩なのは、総合力の差。関西のリトルリーグで育った選手たちが、こうして各地の高校に野球留学すること自体、悪いことだとは思わない。考えて見ると、関西の子供の野球が盛んだということだ。

 このページの更新が久しぶりになってしまったのは、別途、ブログを開設したので、日常のことはブログの方を優先して更新しているためであります。このサイトをご覧の皆様、このページを更新した時は、トップページに「NEW」のサインを出しますので、そうでないときは、ブログを是非ご覧ください。そして、ブログにお気軽にコメントを書き込んでいただければ、いっそう嬉しゅうございます。今後ともなにとぞよろしくお願い申し上げます。

 

2011.5.8(日) 大阪駅とブラスEXPO  

 大阪駅が改装され、5月4日にグランドオープンした。三越伊勢丹、大丸などのデパートや商業施設も相次いで開業となり、大阪は新たな百貨店戦争が始まる。
 大阪駅の新しい形は、京都駅のように、階上にも改札ができて人の流れが広がったのと、そして何よりも、大屋根ができたことだ。コンコースやホームを丸ごと覆う屋根が、駅の象徴になる。機能的には、もっとスペースを有効活用する方法もあっただろうが、あえてこのような空間を作り、屋根を作ったことに、私は興奮を覚える。
 ヨーロッパでは、「駅」は街のシンボルであり、旅の出発点。ほとんどが大きな屋根を持っている。映画のシーンにもよく出てくる。大きな駅は街に住む人々の心のよりどころであり、他の土地から来る人を迎える玄関。大きな屋根が雨風を弾き、人々を包む堂々たる傘になる。大阪駅に大きな屋根ができたことは、駅の大きな意義を、日本のどこにもない最先端で実現したもので、私には、ただ事ではないように思えるのだ。


 関西の吹奏楽連盟が開催して25年目を迎えるブラスバンド、マーチングバンドの世界最大級のイベント「ブラスEXPO」が、きょう万博公園で開催された。特に用事がない限り毎年見てきた私は、きょうも朝から万博公園へ。昼にはワクワクのパレードを見て、午後はお祭り広場で演奏やパフォーマンスをたっぷりと鑑賞。「がんばろう日本!」の書は、大津高校書道部の女子部員たちの実演で製作されたもの。いい作品だ。最後の約千人の合同演奏は、「物理的には必ず合わない」と丸谷先生(この世界では有名な淀川工科高校の指導者)が言われる通り、途中からこだまのようにズレて、いつしか1小節ズレたフーガのような状態になったが、そんなことは問題ではない。素晴らしい演奏だった。数千人の出演者は、大半が中学・高校生。小学生や幼稚園児も一部いる。こういう発表の場がある関西の子供たちは幸せだ。
 パレードでは別格の早稲田摂陵高校を、ついつい追いかける。ちょっと渋滞気味で、進行の不手際が残念。広場では箕面自由学園のゴールデンベアーズが圧巻。何度も見てきた両校の伝統の継承に、むしろ感謝したい。




2011.4.21(木) 誤審 
 

 審判が判定を誤ることはよくあることで、それも含めて競技であり、ルールなのだから、とやかく言うのは大人げないと思いつつ、昨日のその事件で、関西では大変な騒ぎになっているのだから、冷静に考えてみたい。

 そのシーンをテレビ中継で見た人、ニュースで見た人は良く知っている、その誤審。球場の三塁側と外野の席で見ていた観客も良く知っている。それは昨日の甲子園球場、阪神・巨人戦の中で起こった。
 阪神のブラゼルが打った二塁後方への飛球を、巨人の二塁手・脇谷がお手玉して地面に落とした球をショートバウンドでグラブに収め、あたかも、お手玉の末、かろうじて地面に落ちる寸前に取ったようなジェスチャー。すぐそばまでボールを追ってきていて目の前で見ていたセンターの長野も、取ったことを審判に示すようなしぐさ。陰で良く見えなかった一塁塁審は、セーフと両手を広げかけてから、ボールが脇谷のグラブに収まっているのを確認して、アウトのコール。すぐに、打ったブラゼルは「落ちた」とアピール。(英語だったかもしれない)。当然真弓監督の抗議が始まる。テレビ放送ではいろんな角度からビデオを再生する。どう見ても、誰が見てもセーフだ。
 しかしこのジャッジは、覆らない。審判団が集まって協議することは出来たはずだが、それもしない。あのエリアの判定をする審判がアウトと言っているからアウトなのだ。それもルールだから、監督は引き下がるしかない。その後の場面でも、四球となったストライクとボールの判定、小笠原の内野安打の判定と、ますますエスカレートしていく。

 阪神ファンは、長年、このようなことを見てきた。巨人以外のチームは皆そう思っている。審判は巨人に有利な判定をすると。巨人から見れば、そういうことはお互い様で、どちらにもあること、と言うだろうが、おそらく巨人に不利な「誤審」は圧倒的に少ない。しかも、その事件は、試合の勝敗を変える、あるいは以後を左右する最も大事な試合の場面で起こる。
 オリックスが神戸の震災後、リーグ初優勝し、翌年もリーグ優勝して巨人との日本シリーズ。最後はオリックスが勝ったのだが、その試合の中でも、オリックスのセンター本西がダッシュして捕球したライナーを、審判はショートバウンドと「誤審」した。私はその時、打球の横から見る位置で見ていて、テレビの再生でもアウトだと言っていた。しかし巨人有利の判定は変わらなかった。日本シリーズの最終戦のような大事な試合でも、事件は起こるのだ。

 東京に対して大阪。巨人に対して阪神。東京の人にはわからない気持ちがここにはある。今朝の6時半、朝日放送ラジオの「おはパソ」では、第一声からこの事件の話ばかり。会社に行ったら、ほぼ全員がこの話題に乗る。大阪のスポーツ紙各紙の一面には1文字10センチ以上ありそうな「誤審」の見出しの字が、駅の売店の新聞スタンドで踊っている。

 審判が判定したら絶対だというルールだから構わないとは言え、脇谷は、自分が落としたのを誰よりもよく知っているのに「取った」というジェスチャーをした。すぐそばの長野も。球場やテレビで見て、事実はわかっている多くの巨人ファンも、もちろん、それに不満を言うことは無い。これがフェアなスポーツ精神か。こうなると、審判よりも、巨人の選手や監督、巨人ファンまでが、ルールの正統性だけを主張する悪人に見えてくる。今朝、会社では、数少ない巨人ファンの人が、発言をせず、じっと口をつぐんでいた。明らかに誤審だとわかったなら、脇谷選手自身が、審判の判定に反論しても良いのではないか。それを評価するような社会正義が、この競技にも必要ではないのか。サッカーにだって誤審はある。ワールドカップでマラドーナのハンドでゴールが認められた誤審は有名だ。転ぶ時は相手に足を掛けられたことを審判に認めてもらえるように転ぶのも必要だ。しかし、サッカーには、シミュレーションといって、演技で審判に誤解をさせるような転び方をした時に、逆にファールをとられることがある。審判をごまかしたり欺く行為は厳罰なのだ。野球にもそのようなルールを導入したら、選手も審判もファンも、もっと気持良く野球を楽しめるのではないか。さもなければ、絶対に誤審のないシステム、すなわち、他の競技でも導入しているような、ビデオ判定、競馬の写真判定、審判が協議して決める、多数決で決めるなどが必要だ。ホームランの判定に導入しているビデオ判定よりも、アウト・セーフの判定の方がビデオ判定に適している。


2011.3.27(日) 命あることの尊さ 
 

 大震災が日本を襲った。また、戦争や内戦で多くの命が失われている。がんで亡くなる人も多い。人間誰もがいつかは死を迎えるとはいえ、それが何歳であっても、一人でも、何万人でも、それはショックだ。3月11日以降、世の中皆が大変な日々で、私も懸命に何をしたら良いのか考えるのだが、何か力が入らない。

 アサヒグラフ(500円)を買って、震災の写真を見る。命も生活も奪った凄惨な場面の写真だ。亡くなった人々と、そこにも生き残った人がいる。力強く頑張ろうとしている人たちが。

 甲子園のセンバツ高校野球。履正社高校が長男がお世話になった高校なので応援に行った。1回戦快勝。試合開始と終了の時の挨拶を、深々と丁寧に、相手チームに対して礼をした後、審判団に向かってする姿が、いつもこのチームの礼儀正しさの象徴であり、学校の名称の意義でもある。半旗の下で開催されているこの大会に似合っている。負けてさっさと帰ってしまう相手チームがカッコ悪い。
 
 アルプススタンドの応援にブラスバンドは無い。最近まで男子高校だった履正社はチアリーダーも出さず、声だけの地味な応援になる。地元だから当然「全校応援」に駆り出された生徒たちが皆、この大会の意義をわかっているように見えた。1番センター海部君の活躍ぶりは、この選手を1年の時から見てきて、ぜひこの大会と夏の大会で開花してほしいという期待を抱かせる。海部君は、あの巨人軍とファン感謝デーのイベントで試合をして勝った少年野球チームの一員。満員の東京ドームでホームランを打った選手である。渡辺投手は昨日の試合で記録を作った。「背番号18」つまり控の最後の選手が先発し完封勝利をしたのは、甲子園春夏通じて歴史上初めて。レギュラーになれないこの選手が、この日は命ある者として出来る最高のプレーにチャレンジししたのだ。

 ザ・シンフォニーホールへの道は、林の中を通り抜ける。エンタシスの白い石柱がどしりと構える白亜の殿堂。久しぶりのこのホールでの音楽鑑賞。私が世界一のコンサートホールと評価する大好きなホールだ。きょうはアットホームな「道上洋三春休みファミリーコンサート」を楽しむ。子供や高齢者が多い。朝日放送ラジオ「おはようパーソナリティ道上洋三です」は、毎朝、目覚まし代わりに聴いている番組で、この度、12年務めたアシスタントの秋吉英美さん(えみちゃん)がお産のために降板するので、きょうの舞台は人前でのご挨拶の場になる。命を宿し、間もなく誕生させようとする女性の力に、私も感動した。

 私も間もなく60歳の誕生日。親は私も妻も、両親が亡くなり、これからは親への恩返しができなかった分を、子供に、これからの人々に対して返していく立場になる。自分の命を与えてくださった親に、周りの人々に、運に感謝して、生きがいを見つけて行きたい。


2011.1.1(土) 還暦を迎える年 
 

 「還暦」が年頭のテーマになるのは、やや暗い、というかシルバーな雰囲気を漂わせることになりはしないかと、ためらいながら書いている。今年の誕生日で60歳となる、節目の新年を迎えたことになる。

 年末にテレビを観ていたときのこと。レコード大賞の過去の受賞曲をVTRで次々と流されると、今年で52回目だそうだが、私のこれまでの人生は、ちょうどレコード大賞の歴史と重なることに気づく。全部良く知っている曲ばかりだ。走馬灯のように断片的に想い出が浮かぶ。

 もちろん、若い頃に還暦の自分を想像することは出来なかった。赤いちゃんちゃんこのお爺さんは、まさに老人であり、そんな時に仕事を一人前にするのは特別な人だけだと思っていた。今の私が赤いちゃんちゃんこのお爺さんか。そんなはずは無い。と自分では思うが、他人が認めるのかどうか、それが問題で、実は若い人から見れば私はお爺さんなのかもしれない。いくら気張っても、体力は落ちているし、下手をすると病気をするかもしれない。岐路に差しかかっていることは間違いない。
 
 やはり、還暦の話題は暗い。今年をどんな年にするのか、自分次第だと思うので、節目のことは忘れて、自分の年齢のことを自分から話題にすることは一切しないことにする。

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