2009.8.8
富士登山2009
 富士登山は何回目か、数えるのを止めたので、よくわからないが10回目以上ということにしておく。実際には10回と数えたことが過去にあったように記憶しているので、10回を超えているのは間違いない。
 そして今回の富士登山を、こんな記録に著そうと思ったのは、実は、今回で最後にしようと決心がついたからでもある。「今回が最後」の理由は、体力の限界。私よりも高齢の人が富士山に登っている姿は数多く目にしてきたが、私にとって、これ以上の挑戦は、失敗を招き、人に迷惑をかけることになるような気がして、それを考えながら、有終の美を飾って、今回の富士登山を終了した。その一部始終を走り書きする。

 金曜日の夜、東京での仕事を終えて、新宿西口の高速バスターミナル。長野・山梨県方面への帰省客が多い。17時50分発の富士山5合目行。京王バスの、トイレ付のバスだから、少し安心。乗る前に、ソバを一杯食べる。
 いや、その前に、ここにたどり着くまでに、最初の障害が起こり、なんとかクリアしたところだった。それは、富士登山では最も大事な「靴」のトラブル。東京近郊の某所で着替えをして、荷物を自宅宛に発送し、持ってきていた古い厚底のスニーカーを履き、リュックを背負って歩き始めたときのこと。富士登山では靴が消耗するので、使い古したスニーカーを選び、荷物に入れて送っておいたのだが、それは、かれこれ、4年ぐらい使わずに靴箱にしまっていた物だった。久しぶりに履いた感触は、ずいぶん底がフワフワで、クッションが柔らかい。お構いなしに歩いていると。底の一部が崩れ出し、白い粉が出たり、階段の上り下り、電車の乗り降りをしているうちに、靴は崩壊し、底が順に剥がれて行って、最後には厚底のない地下足袋のようなものになった。かろうじて新宿西口の郵便局の近くにあるABCマートを携帯で探し出し、駆け込んで、トレッキングシューズを買ったのだ。

 バスは新宿から定刻に出発し、2時間25分後の20時15分に富士スバルライン5合目に到着した。途中、ものすごい豪雨があったが、さほど渋滞も無く、河口湖インターからスバルラインに入ってもスムーズだった。この時期、スバルラインはマイカー規制だ。バスの隣の席に座ったのは、アメリカ人の若い男性で、島根県の益田市に住んでいるという。軽装だが、大丈夫なんだろうか。

 5合目のバスターミナルには、さほど多くの人はいない。きょうは、年間で最も富士登山者の多い日で、この登山道から登る人だけで1万人を超えるはずだ。そういえば、バス停の手前の観光バスの駐車場には、数十台の観光バスが留まっていた。ツァーのバスなのだ。
 標高2300メートルの空気に慣れるため、ゆっくりと荷物を出し入れして確認し、30分ぐらいしてから歩き始めた。ここではソフトバンクの携帯もつながるが、自宅への電話は、明日で良いと思って、かけなかった。このソフトバンクの携帯が、この先ほとんどかからなくなり、最後にはバッテリー切れで、結局、ソフトバンク携帯は富士山で利用するチャンスがなく、ここでもドコモに負けた。

 富士スバルライン5合目の土産物ショップ 2009.8.7 20:36

 今は、雨が全く降っていない。助かった。ここから雨では、三重苦になる。
 5合目から6合目までの区間は、途中一旦下り坂になるところがあり、下山の時は逆に登りになるので、このルートの最後の難関となる所だが、今回は、このルートに降りてこない予定なので、まずは下りでルンルンの状態。懐中電灯は、いつもの手に持つタイプ。ヘッドランプの人が多いのは近年の傾向。装備は発達してるんだ。今回持ってきた軍手は、滑り止めのイボがついているタイプで、これは確かに正解だった。懐中電灯が手から滑ることが無いし、登山道の途中で手すりや鎖、岩などをつかむとき、威力を発揮する。

 さてここで、既に問題が発生していた。
 富士登山の最大の難問は、空気が薄くなって高い所に行くと、頭痛や吐き気が起きる「高山病」であり、それを十分警戒して歩いているのだが、どうも、呼吸が苦しい。ゆっくり歩くのだが、息がハアハアとして、こんな平坦なところでこの調子だったら、この先、いつも苦しくなる8合目から上は、どうなるのか。これはおそらく、今回の登頂を途中で断念する予兆だろうと、冷静にそのことを考え始めた。この先、ずっと、「これから下山するとしたら、どういうルートになるのか」と考えることになった。但し、下山だけではダメで、そこから大阪の家に帰るルートと時間まで考えなければならなかった。理想的には、7合目で宿泊・仮眠をとって、頂上まで登り、御殿場口を下山して御殿場から三島経由で新大阪へ土曜日中に帰ること。そのためには、かなり時間の余裕をみているものの、時間のペースを守らなくてはいけない。

 6合目の富士山安全指導センターに着いた。ここでいつもの簡単な地図をもらう。その地図が、少し上等な印刷のビラになった。ここには指導員が常駐しているのだが、いままでに何か指導を受けたことはないし、こちらから教えてもらったこともない。ただ、必ず地図のビラをもらうのだ。ここは警察官が1人常駐する派出所にもなっている。若手の警官が玄関先に出ていた。服装は制服なんかではない。登山も出来る服装だ。地図に示されているコースタイムは、この警察官クラスの熟練者が、ノンストップで登る時の所要時間だそうだ。我々が登る時間を計画する時は、最低でもその2倍、初心者を含むグループの時は3倍で見込むことにしている。

  吉田口6合目 富士山安全指導センター 2009.8.7 21:25

 当面の目標は7合目トモエ館。ここは比較的低い位置にあり、頂上でのご来光を目指す登山者は、もっと上の山小屋に泊まるので、ゆとりのある山小屋なのだ。過去何度か利用した。予定としては、そこに11時までに着いて、仮眠をとり、未明の3時頃に出発すれば、8合目でご来光を見ることができる。多くの人々が、頂上でご来光を見る時間配分で行動しているのに対し、私は、そもそも出発が遅いのだから、時差登山で混雑回避も兼ねる。

 さて、ここまで考えてきたペースが、うまく行くのかどうか、6合目からの本格的なジグザグの登山道を歩み始めると、少しずつ不安がよぎってきて、色んなことを考えるようになった。

 「11時までに7合目トモエ館」は、念のために余裕をみて考えた目標タイムなのだが、その時間にさえトモエ館に着かないことがわかった。30分ぐらい遅れるペースだ。じゃあ、仮眠の時間を30分短縮すれば良いのだが、この調子でこれから先もズルズルと遅れるなら、時間的に難しくなるばかりでなく、この高度(2700mぐらい)でこの苦しさでは、8合目から頂上までの区間がもたない。そのあたりの見極めを、いつどこでするか、そればかり考えながら、一歩一歩を進めるのだった。
 ジグザグの登山道を、単純に歩くだけだ。満月の光が懐中電灯を不要にしてくれる。月の灯りがこれほどに明るいと感じるのは富士山のときだけだ。好天に恵まれたことには感謝する。

 しかし、一歩一歩は苦しい。私よりも後から来る人がみんな追い越して行く。私は、30歩ぐらい歩いたら立ち止まって息が収まるのを待ち、また少し歩く、その繰り返し。ようやく、トモエ館の一つ下の小屋「日の出館」前に着いたら、なにはともあれ、ベンチに座って休憩だ。


  7合目 日の出館 2009.8.7 23:09

 この息苦しさは、いったいどうしたことなのだろう。これまでの経験で、体力的な要因で途中断念したことはない。確かに前回も、少し年令のせいで心肺機能の低下を認めざるを得ない苦しさがあった。それが一層難しくなり、もう、この段階から、結果はどうあれ、富士登山は今回で終了という結論を出した。

 今回が最後の富士登山と決まれば、ぜひ、けじめのある、思い出に残る富士登山にしたいという思いと、それだけに、怪我をしたり倒れたりするようなことは無いようにしなければという思いで、緊張感がますます上がってきた。

 
  7合目トモエ館 2009.8.7  23:22

 7合目トモエ館に着いたときに、一つの決断をした。ここで泊まって仮眠をする計画を変更し、休まず登り続けることにしたのだ。このペースでは、予定の時間配分の見通しがたたないので、遅いペースでもいいから、とにかく登る。不眠で登るのは、以前にも経験があるし、一般的に行われている方法なので、とにかく行ける所まで行ってみる。

 寝ないで歩くのだから、一挙に時間配分は楽になる。これで、ペースをあせることは無い。ゆっくり、休み休み進めばよいのだ。

 ここから先、ご来光の午前4時55分まで、少しでも上に登るように頑張るだけだ。

 日付が変わって8月8日。
 雨が降り出した。最初は小雨だったが、そのうち、合羽のズボンを履く時間もないほど急に強く降り、ズボンの下半分がずぶ濡れになった。約30分間のゲリラ雨に、山小屋で立ち止まって休憩したら、体が一気に冷えてきて、今年大雪山の中高年登山で起きた事故を思い浮かべた。動かなければ寒いし、動くには息苦しい。体の震えがきた。まずは、持ってきていた「貼るカイロ」を、腹にペタンと貼る。この知識は効果絶大。

 やがて雨は止んだ。写真を撮れる状態ではないので、しばらく写真がない。

 4時半頃、東の空の雲が切れて、白んできた。日の出が近い。雨も止み、あと少しでご来光かと思うと、ほっとする。かといって、歩くペースが早くなるわけではない。ぼちぼちだ。

 4時50分頃から、場所を決めて、ご来光の写真を撮る体制に入った。うまく撮れるわけではないが、これも最後のご来光だから、懸命にシャッターを押す。
 雲と雲の間から太陽が一段と強く光を放つ。ご来光である。シャッターを押す合い間に、何故か、目頭が熱くなった。

  8合目からのご来光 2009.8.8  4:56

 ここから、次の目標は頂上なのだが、その前に、途中で下山するとしたら、下山道への分岐点がある本8合目が目標だ。そこで、それ以上無理なら下山道に方向を転じて、元来た5合目へ戻る。ただ、そのルートは、河口湖方面へ出る道なので、その後大阪へ帰宅するまでのルートを考えると、できれば、御殿場口へ下りたい。その御殿場口は、どうしても、頂上まで登らなければ行けないルートなので、御殿場口へ下りることは、すなわち登頂すること、8合目で下りることはすなわち、帰りが遠回りでも、下りることを優先することとなる。最も理想的なのは、登頂することであり、いまのところ、まだそれを目指せる状態にある。

 
  8合目から登山道を見下ろす。 2009.8.8 5:48

 本8合目に着いた。「富士山ホテル」という小屋がある所で、標高3400m。

  本8合目富士山ホテル 2009.8.8 6:26

 ここから頂上まで60分と書いてあるが、別の地図では80分。いずれにしても、頂上はもう少しの所にある。当初予定の10時半登頂の計画には、あと4時間あるので、80分の2倍以上かかっても大丈夫だ。ここで長めの休憩をとり、7時にまた登り始める。

 息は上がっている。しかし、無理をしないので、頭痛やむかつきの高山病症状はまだ出ていない。

 途中で立ち止まるごとに水分と食べ物を摂る。今回は、もっぱらソイジョイを食べる。手軽で良い。


 河口湖を望む。 2009.8.8  6:37


 頂上は見えているが、まだまだ、ここから2時間以上かかる。 2009.8.8 8:11


  もう少し。2009.8.8 10:03 (ここから30分かかる)


 ゆっくりと登ったおかげで、時間はかかったが、10時30分、頂上に到着。ここまでの経過については、言葉が少なくなる。何も考えずに、ひたすら一歩ずつ進み、あと何歩で立ち止まって休憩するか、だけの繰り返しだった。

  頂上  2009.8.8  10:30

 富士山ではいつものことだが、頂上に出ると、これまでの苦しさが吹き飛び、体が軽くなる。もう登らないから、歩いても足取りが軽い。最後の富士登山だから、お守りを奮発して家族皆に買う。噴火口の写真を撮ったり、新宿のコンビニで買ったアンパンを食べて、少しむかつくのを抑えるために、消化剤を飲む。高山病のむかつきに、消化剤が有効だということを実験で確認した。頂上のトイレは利用料200円。


 浅間大社のお守り。


  頂上の賑わい。  2009.8.8 10:42


  噴火口と剣が峰。 2009.8.8 11:04


 伊豆半島と駿河湾。 2009.8.8 11:43

 当然、今回は、剣が峰(最高峰)行きを断念し、下山の途に着く。御殿場口へ下山する道を売店の人に聞いて確かめ、ぐるりと南に回り、富士宮口に程近いところまで行く。御殿場口ルートは、過去に一度下ったことがある。富士登山駅伝のルートだ。前回このルートで失敗した経験があるので、その轍は踏むまいと周到に気をつけて、11時45分に下山を始めた。

  御殿場口ルートを下山する。 2009.8.8  12:05

 前回の失敗とは、下山の際に、ペースを上げ過ぎ、ほとんど走る状態で行ったために、これから楽になるはずの下山道で高山病になったことである。確かに高度が下がるに連れて楽になるものだが、それでも息が上がるほど飛ばしたら高山病の症状が直ぐに出て、そして、一旦高山病になると、下へ降りるまで治らないのだ。前回は、最も楽なはずの砂走りのところで全く歩けなくなり、コース脇の砂の上に寝転がって、ゲロゲロしながら、大変な状態で下山したのだ。
 だから、今回は、実にゆっくりと歩く。しかし、そこは、登りのときと違い、息が苦しくても足が動いてしまう。下りだから、足が勝手に動く。それは全身運動だから、息が苦しくなり、頭も痛くなってくる。飲み物も飲みたくなくなる。きたきた、高山病だ。止まって休む。何度も繰り返す。追い越していく人が、大人から子供づれのファミリーまで。でもあせってはいけない。

 もう一つの問題が出てきた。ゆっくり歩くのはいいのだが、そうすると、御殿場口5合目からのバスに間に合わない。17時がバスの最終なのだ。でも5時間あれば、なんとか間に合うのではないかと楽観するものの、途中、大砂走りに入ってからは、高山病を抑えるためにペースを抑えるべきか、17時に間に合わせるためにペースを上げるか、その調整になった。

 大砂走り。 2009.8.8 15:04
この写真では平坦な道に見えるが、実は急傾斜の下り坂で、立ち止まるのに足を踏ん張らなければならないほど傾斜がきつい。ここを走って下る人もいる。 

 このルートは、途中に山小屋が少ないので、水分補給に困ることもある。それに、あとどれぐらいで着くのか、目印がないので、今回のように時間がギリギリの場合には困る。

 砂走りにも飽きるほど時間が経過した頃、バスの時刻も迫る一方、頭痛が消えてきた。そうだ、高度が下がってきたのだ。それならと、ペースを上げる。息はきついが、呼吸を速く大きくするようにし、歩幅を大きくする。やがてガクンと傾斜が緩くなった所で、振り返って見たら、今まで目の錯覚で平坦に見えていた砂の道が、見上げる急勾配である。この道に並行してある登山道を登る人がいることを考えると、シンジラレナイ心境になる。

 ここまで何度か携帯電話の電波の状態を確認したが、全く圏外だった。そしてついに、バッテリー切れとなった。

 16時38分、太郎小屋に到着。トイレを利用し(100円)、顔と頭の汗をタオルで拭きながら、この辺はドライブで来て駐車場から歩いてくる家族連れとすれ違いながら、バス停に到着。16時50分。間に合った。バスの切符を買い、自販機でスポーツドリンクを買い、バスの車内では、依然吹き出る汗を拭きながら、朦朧としている意識を奮い立たせ、ひたすらドリンクで体の回復を待つ。ギリギリの綱渡りだったが、無事に目標どおり、御殿場口に下山できた。あとは、駅で何かを食べて、飲んで、寝るだけだ。

 バスは30分で御殿場駅に着いた。バスを降りた目の前に立ち食いソバ店があった。迷い無く店に入り、月見ソバを注文した。冷房の無い店だが、とにかく一気につゆまで全部たいらげ、駅で自宅に電話をした。洗面所で鏡を見ると、顔は真っ赤に日焼けしている。強い紫外線を受けて、一日で大変な日焼けとなる。足腰はガクガク。靴は20時間ぐらい履きっ放し。それよりも、睡眠は、前日の朝起きて以来眠っていないから大変。御殿場線の電車の中で眠る。三島からの新幹線で眠る。

 自宅に帰った翌日、日曜日。ゆっくり朝寝をし、まる一日、何も出来ないほどの体力の消耗を癒した。全身の筋肉痛は2日ほど続いた。

 色々トラブルがあった今回の富士登山。でも全て無事に解決した。もうこれで最後。満足感がある。行って良かった。