最近思うこと(日記・エッセイ)
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2009.12.27(日) 千里丘駅の渋滞解消

 
私が独身時代に千里丘の寮に住んでいたのは、昭和40年代の後半のことだから、30数年前になる。そのときから、この千里丘駅のJR東海道線を横断する道路は、線路の下をくぐるガードで、1車線の交互通行だった。従っていつも渋滞する場所で、ここの道路だけでなく、その前後の交差点の渋滞が深刻で、信号が青になっても全然進まない状態が続いた。
 ここの道路の拡張は、単なる道路工事ではなく、JRの何本もある線路の下をくぐる道であり、JRは貨物線もあるから夜間も列車が走るので、相当な難工事になるであろうことは想像がつく。かくして、ようやくこのような2車線の道路ができるまで数十年かかったのだろうと思う。
 この付近に住んだ経験のある方が見れば、驚きの写真ではないでしょうか。どこにでもありそうな道路の写真。この道路の完成を機に、阪急の新駅、新しい街、など、遅まきながら千里丘駅周辺は変わろうとしている。


2009.12.26(土) 駅ができる

 
自宅近くの阪急線に新しい駅「摂津市駅」ができる。3月開業予定。いつもは自宅からJRの千里丘駅へ行く徒歩8分の途中に、阪急京都線の踏切を渡って行くのだが。今度は、もっと近くに阪急の駅ができるので、便利になる。これで、自宅から徒歩圏内のの最寄り駅は4つ(JR千里丘、モノレール摂津または沢良宜、阪急摂津市)になる。こんなにたくさん駅があっても、通勤に利用するのは一つだし、その時の都合のよい駅を利用すること以外に果たしてそんなに便利になるのかどうか。
 新駅は各駅停車の停まる駅だ。梅田までの所用時間は、JRの15分にかなうはずもない。定期代はJRよりも高くなること必至だ。しかし、地下鉄の堺筋線直通があるから、行き先によっては乗り換えなしで大阪市内に行ける。
 もうひとつ、JR利用者にとって大きな問題がある。阪急の踏切の遮断時間が長くなることだ。駅が近いということは、電車の発着のために速度の遅い電車が走る、または発車前から近くの踏切は遮断機が下りる。したがって、ラッシュ時間帯ほど踏切の遮断時間が長くなってしまうこと間違いない。
 さて、どちらを利用するか、今は決めかねる。動き出してから様子を見て選ぶことにしよう。選ぶほど駅があるのも贅沢な話だが、それだけ、ごみごみした所に住んでいるということだ。
 新駅付近は、ダイヘン(大阪変圧器)の工場跡地で、今、急ピッチで駅舎と商業施設、マンション、公共施設などが造られている。新しい街ができるので、スーパーもできるらしいから、その点では便利になるかも。


2009.12.20(日) パソコンが新しくなった

 
6年半使ったパソコンが不調で動かなくなり、新しいのを買う決断をして、その後、上新電機の開店協賛セールで、最新型のデスクトップ型のいいのを見つけ、さらにとことん値切って購入。それ以来、設定やら必要なソフトの設定で時間がかかり、ようやく、ホームページビルダーが使えるようになって、本日、久しぶりの更新となりました。
 HP作成ソフトは前から「HPビルダー」でしたので、登載ファイルを何とか前のパソコンから救出し、HPビルダーの最新版を購入して、とりあえず、前のままのファイルを更新することは出来ました。最新版のソフトですし、この際、もっときれいなホームページにリニューアルしたらどうかというところですが、いろいろ忙しくて、まだまだです。

 今度のパソコンは、テレビもブルーレイも、その他何でもありのフル装備。なのに、まだテレビはつないでおりません。指で画面に触って操作するタッチパネルもありますが、使う必要なさそうです。いろんな機能は、ほとんど使えていないのです。今後もし暇になったら、なんて考えていますが、いつのことか。確か6年前も同じことを考えていて、結局使わなかった機能ばかりだったかもしれません。
 「ウィンドウズ7」というのが、良いのかどうか、判断もつかず、ただやみくもに新しいからいいだろうと思い、使っていますが、いいのかどうかまだわからない。エクセルやワードも、ずいぶん細々とやり方が違うので、「ヘルプ」ばかり見ながらやっています。ただ、絶対に言えるのは、パソコンの能力が大幅にアップしたので、速いのなんの、ストレス全然ありません。インターネットを見るときの速さがスゴイ。マウスはもちろんレーザーのワイヤレスで、良く効くし、キーボードも、良く見たら線がつながってないワイヤレスなのに反応は速い。ソフトなど気楽にインストールしても、ハードディスクの容量は1TB(1テラバイト)だから、前のPCの80GBの10何倍。もう容量を気にしなくていい。数年の間にもずいぶん進歩したものです。あとはもっと使いこなすことが課題です。


2009.11.3(祝) 阿修羅像

 
私が阿修羅像に心を惹かれたのは、高校の美術の教科書に載っていた写真だった。大阪で過ごした独身時代、その阿修羅像が奈良の興福寺で見られることを知り、サイクリングで行ってみた。興福寺と言えば、高校の修学旅行で観光バスを降り立ち、五重の塔を眺めただけで拝観せず、東大寺や春日大社方面へガイドの案内で歩いた、そのときの五重塔だけの印象。
 阿修羅像は、身長153センチ。3つの顔と6本の手をもつ少年の像だが、私は少女だと思っていた。像の前に立って目を見つめると、何かを訴えているような少女の表情で、私は、なかなかその場を離れることが出来ない。細い手は、どう見ても女の子だ。独身時代に何度も何度も阿修羅に会いに行ったのが、今となっては少し恥ずかしい。青春時代の思い出なのだ。

 朝日新聞社が主催なので、朝日を読んでいる人なら皆知っている阿修羅展。今回は、いよいよ興福寺に戻って、興福寺のお堂の中での拝観となる
「お堂でみる阿修羅」が見られる。通常は国宝館の中で、ガラスケースで展示されている阿修羅が、ガラスなしの、そのままで見られる。しかも、他の多くの仏像とともに、何ともいえない美しい照明を浴びて、大きな本尊の前に鎮座する。
 きょう、これを見に、奈良へ妻と長男が同行した。今回、見に行きたいと言い出したのは妻であり、私は一人でも見に行こうと思っていたので、早速、祝日のこの日に、朝8時前に自宅を出発し、懐かしい阪奈道路を通って奈良へ。奈良公園方面は途中から渋滞になったので、わき道にそれて、時おり見える若草山の方を目標に進む。うまくJR奈良駅の近くに出たので、コインパークで駐車。ここは安くて、6時間停めたが5百円だった。
 それにしても、人の多さにあらためて感心した。待ち時間120分の掲示に臆せず、ひたすら並んでいる人たち。私は目算で120分はかからないと予想。90分と読んだが、結果は80分。それでも80分並ぶのは久しぶり。中に入ると、意外に、早く進めとかいう催促はないので、じっくりと拝むことが出来た。正面の最前列は、どうしても混みあうが、少し下がると何時まで居ても支障がない。また会いにきたぞ、という感じで、少し長く居させてもらいました。
 これから、行かれる方へご参考に、ICOCAカードを見せると、割引になります。

 そして、久しぶりなので、長男が七五三参りをした春日大社へ。さらに大仏殿へ。修学旅行も、行楽も、七五三参りも、また、正倉院展もあって、大変な人出でありました。春日大社のあたりの鹿は、せんべいを買うと寄ってきて大変でしたが、大仏殿の近くでは、せんべいに見向きもしない鹿たち。

 私たち家族が奈良市に住んだのは、1979年秋から2年半でした。


2009.8.19(土) F1が大阪城を走る

 
F1を見に鈴鹿へ行く元気も暇も、今は無い。でも、手近で、走るマシンをタダで見られるということなら、行かない手は無い。動いていないマシンを見る機会なら、たまにあるものだが、一般的に、動くマシンは、レースに行くしかない。あの爆音を聞く機会はもう無いのかと思っていただけに、うれしい日となった。
 大阪城公園の中、桜門という正門みたいな門の前は、舗装された道路が少しある。約500メートルのほぼ直線のコースを往復するデモ走行なのだが、観客の数が半端じゃないし、よく見える場所は少ない。写真に集中するか、見て聴いて感じる方に集中するか、結局両方に集中し、うまい写真は撮れず。でもまあ、迫力は伝わる写真が残った。
 たった1台のマシンが走るだけで、こんなに人が集まる。F1マシンを初めて生で見る人も多いに違いない。私は初めてではなくて、昔、若い頃に何度か見たF1の記憶を蘇らせて、しばしあの爆音の中に浸り、リフレッシュしようというところだ。
 1台でも興奮する。レースとなると、真剣な勝負であり、その爆音も折り重なるから、独特の世界が出来る。モータースポーツの種類は、1台ずつ走って時間を争う「タイムトライアル」と、一斉に走って順位を競う「レース」とに分かれるが、もちろん、レースは、スピード・技術に駆け引きが加わるので、最高の種目であり、その中で最高峰がF1なのだ。
 きょうのイベントは、マシンの迫力は本物だが、レースでは無いので、和やかで安心なものだった。
 鈴鹿のレースは、今年もテレビ観戦とする。


2009.8.1(土) 甲子園は大阪から遠い

 
きょうも甲子園球場では、阪神・巨人戦が行われている。伝統の一戦も、場所が甲子園となれば、ことさらその雰囲気がある。甲子園があるのは兵庫県西宮市。つまり大阪ではないのだが、大阪の梅田から阪神電車の特急で10分ちょっとで行ける所、ほとんど大阪なので、大阪の人は阪神タイガースを地元球団と思っている。優勝したら道頓堀に飛び込むのも大阪の阪神ファン。
 もう一つの甲子園が、いよいよ1週間後だ。出場校が最後に決まったのは、きょうの大阪。近いから最後でもいいという日程設定なのだが、今年は雨で日程が変更になり、決勝が8月になってしまった。
 「大阪の高校にとって、甲子園に出るのは、甲子園で優勝するよりも難しい」。一見矛盾するこの言葉は、実はよく語られる。185校の頂点の1校に絞られるのだが、決勝戦よりも、むしろベスト8から抜け出す最後の3試合全てが厳しい。その厳しい戦いを勝ち抜いて、きょう、優勝したのはPL学園。
 ではなぜ、甲子園で優勝するよりも大阪大会で優勝する方が難しいのか。それは数字が物語る。過去90回の夏の甲子園で、大阪の学校が優勝したのは10回。これは、他の都道府県を大きく引き離しトップの数字だ。しかし、学校別で、甲子園の出場回数となると、大阪で最も多いPL学園は16回で、23位。つまり大阪から甲子園に出るのは難しいということ。
 昨日の大阪大会準決勝。PLと対戦した履正社の善戦が、惜しまれる。紙一重の勝負で、延長12回に決着した結果は、PLの順当勝ちに見えるかもしれないが、あれは、どっちが勝っても良い、実力・試合内容・運、ともに五分五分。私は、履正社を応援していたので、きょうの決勝戦を観戦する興味が薄れてしまったのだが、きょうは、PLのこの大会2試合目の観戦となった。10対0の大差は、決勝戦とは思えないスコアだが、内容はいい試合だった。
 それにしても、舞洲スタジアムは、バスを利用しなければ行けない球場なので、とても不便だ。今日は、別のイベントもあるとかで、舞洲にわたる橋は大渋滞。帰りのバスは、並んでもいつ乗れるかわからないので、私は歩いてユニバーサルスタジオの近くの桜島まで1時間歩いたのです。大きな橋を歩いて渡るのは、東京のレインボーブリッジもそうだけど、結構怖いし、気持ち良い。
 さて、また、今度の甲子園は、お盆休みの暇つぶしに、何回見に行くことになるか。

8月1日 大阪大会決勝戦 PL学園優勝 舞洲スタジアムにて



2009.7.19(日) 久しぶりにユニバーサル・スタジオ

 
ユニバーサル・スタジオへ行くのは、新型インフルエンザ騒ぎ以来初めて。年間パスの気軽さで、きょうの天気予報は午後から雨なのだが、雨が降るまでの間と思い、一人出かけた。
 連休の中日にもかかわらず、入場者は少ないような気がする。インフルエンザとともに入場者が減ったのはニュースでも聞いたが、これは深刻ではないか。入場して楽しむには楽でいいのだが。いつまでも、そうであっては困る。
 スパイダーマンも久しぶり。「ウォーターワールド」は1年ぶりかも。その後、水のかけ合いの中に入って、カメラを守りながら決死の写真撮影。天気予報がずれ込み、まだ雨は降らないが、夜のパレードまでは持たないだろうと、家を出るときに「夕方には帰る」と言ってきたことに自ら縛られ、3時には家路に就いた。自宅で、巨人・阪神戦を見たり、相撲の朝青龍に土がつくのを見て、結構充実した一日。

 ところで、電車の中から見える、気になるものが。
 JR京都線の吹田と岸辺の間、旧吹田操車場跡の一角に、新幹線0系の車両が一両、野ざらしに。先日、報道ステーションで、万博公園の太陽の塔の前を、輸送されて通った0系新幹線が、ここに置かれているのだ。いつか公開されるまで、ここに放置されるのだろう。ちょっと可愛そうな気がする。




2009.5.17(日) 新型インフルエンザ

 
新型インフルエンザの国内感染が、神戸や大阪から出ていることについては、心穏やかでない。先週は兵庫県内を出張し、金曜日に自宅に戻ったところだし、この土日、どこにも出かけないようにして、家でおとなしくしているのだが、それでも、コンビニで買い物をしたし、妻がスーパーで食料品を買うので雨が降っていたから車の運転手をした。茨木市の関西大倉高校は、よく知っている学校だ。我が家は摂津市だが、2百メートルで茨木市。その学校がどうのと言うよりは、既に大阪一帯が感染していると思うので、うがい、手洗いには注意している。いつになく手洗いを頻繁にするので、手がツルツルだ。
 身近に迫る新型インフルエンザに感染して発病する恐れよりも、むしろ、感染したら隔離されて、過去1週間私に接近した人すべてに迷惑をかける心配の方が怖い。
 体調維持と予防措置で、とにかく熱を出さないように、気をつけたい。電車に乗ったら手を洗う。マスクと除菌ウェットティッシュは用意した。
 もうひとつ、明日からの出張先で、大阪から来たのかと、うさんくさく見られるだろうから、私は我慢するが、相手の人たちに迷惑をかけるようで、困ったものだ。


2009.4.19(日) 阿修羅像

 
独身時代、つまり三十数年前の頃、吹田市から奈良へ自転車で行き、五重塔のある興福寺の宝物館で見たものは、学校の美術の教科書に写真が出てくる「阿修羅像」だった。少年か少女の背丈ほど、ガラスケースに入ったこの像の前に私は釘付けになり、長時間、見入っていた。説明を読めば、これは男子の像のようだが、私には、何か物悲しい眼で訴える少女のように見えた。その後何度か「阿修羅に会いに行く」ことがあり、私には若い頃の思い出の人(?)みたいなものである。
 「国宝・阿修羅展」が東京・上野で開催中らしい。奈良に行けば、これからまたいつでも阿修羅に会うことはできる。今だけ東京にいる阿修羅に、東京の方は、もし良かったら会ってみてはいかがでしょうか。


2009.4.11(土) USJきょうこのごろ

 
昨日の夜、会社帰りにユニバーサルスタジオへ寄って、夜のパレードを見た。3月から始まったこのパレードは、これで4回目。その都度見る場所を変えるし、カメラを持たずに鑑賞すると、また違った良さがある。
 ところで、昨日は、平日の金曜日。春休みが終り、ゴールデンウィークまでのこの時期は、空いている穴場の時期で、最初の頃にスゴイ人出だったパレードも、比較的楽に見られる。場所取りなど直前でも大丈夫だし、私は、立って後方から見るので、何の準備も要らない。というわけで、パレードの始まる30分前に入門した後、年間パス所持者専用のショップを覗いた後、時間つぶしに、5月10日で終了となるETと、人気ナンバーワンのスパイダーマンへ乗車。ETは、次の新しいアトラクションに衣替えするための終了だそうだが、もう見られなくなるとなると名残惜しいもので、じっくり味わいながら、あの自転車を模した乗り物に乗って、最後に私の名前をETが呼んでくれるのを、しっかりと聞きとめた。記念にもらったカードが何か感慨を呼ぶ。しかし、ここは待ち時間60分となっていたが、シングルライダーの私には、そんなの関係なく、すぐに乗ることが出来て、済んでしまった。
 そして、いつものスパイダーマン。ここは、もっと空いていて、シングルでなく一般の列も全く無く、入口からどんどん通路を進み、乗り場まで直通。そこで何と、12人乗りの車に、私一人で乗ることになったのだ。いつも長時間並んでいる人が多いこのアトラクションが、一人で貸切になるのだ。そして、例の、最後に写真を撮られて、英字新聞の記事に掲載されるような商売に、いつもは見向きもしない私が、今回は、貸切乗車記念と思って購入したのだ。USJには珍しいスーツ姿のオジサンが、サングラス(立体映像メガネ)を付けて一人で乗っているのは希少価値あり、と衝動的に思い込んで、説明上手なおにいちゃんに、OKと購入の返事をし、あとで見てみると、どうでもよい出来ばえ。
 スパイダーマンに数知れず乗った中で、ひとつの貴重な経験の記念としては、GOOD。


2009.4.5(日) 宝塚線

 
きょうは宝塚の「花の道」の桜を見に行った。近畿各地の桜は、まだ満開でないところが多く、ここ宝塚の花の道だけは早くから満開の情報が出ていたので、初めての見物と相成った。
 JRで行って、宝塚駅から宝塚大劇場の方へ歩いていく途中の道が「花の道」だ。劇場周辺の独特な雰囲気が、桜の花で一層明るくなっている。
 帰りも自宅への乗り継ぎを考えれば当然JRとなり、JR宝塚駅から東西線直通の快速電車に乗った。考えてみると、この線は、今までにも利用したことがあるが、あの事故以降では、上り線に乗るのが初めてとなる。何気なく乗っていて、尼崎に近くなったときに、ふとそのことに気づき、思った。電車はカーブを、スピードは落としているが、軋む音を立てながら進む。気にしなければ、ただの普通の電車だ。
 花見を機会に、大事故の記憶を振り返る。貴重な体験の日となった。


2009.3.30(月) ETC、カーナビ初体験

 
今どき、ETCもカーナビも、初体験かと、笑われるのを覚悟で、この記事を書きます。
 土日に所用で神奈川県へ行った際、ETCとカーナビを、私としては初めて使ったのです。但し自分の車ではなく、レンタカーでした。

 高速道路割引の騒ぎに事前に対応して、ちゃんと車載器無料キャンペーンで取り付けまで完了しておりました。いよいよ、先週28日からの「どこまでも千円」に使えるかと考えたものの、大渋滞となるだろうとの大方の予想に鑑みて、楽な方法にしました。往復は新幹線。平塚の東横インの新規オープン店に泊まり、提携のレンタカーを借りて24時間。途中一度だけ、ETCを使う所があり、ここはレンタカーに付いているETC機だが、自分のETCカードを使い、ETCのゲートを無事に通過した時の、なんともいえない安堵感。今度は自分の車で使ってみるまで安心できない。ゲートが開くのかどうか、ドキドキするものです。
 もう一つの初体験は、カーナビ。レンタカーでカーナビの付いた車には、今まで何度も乗ったが、カーナビは無視して使わなかった。ところが、今回は、神奈川県の複雑な道路。目的地から次の目的地へと効率良く走るには、得意の地図を見ながらでは限界があり、途中から観念して使うことにした。最初、使い方を誤り、変な所へ行ってしまったが、それを学習してからは、テキパキと正確に指示してくれるのに感動する。初めて通る道ばかりで、特に夜間ではカーナビの威力絶大だ。1ヶ所だけ、「左へ」という案内がワンテンポ遅くて、曲がるべき角を通り過ぎてから言われたために、時間ロスとなったが、他は概ね正確で、この辺の道に慣れていない者にとっては、大きな道路を基本に案内してくれるカーナビに感謝である。今までカーナビを使わなかった理由のひとつが、操作方法がわからないからだったが、今回必要に迫られ、さわってみると、意外に、マニュアルを見なくても、パネルに従って操作すれば出来るということがわかった。
 
 宿泊した平塚は、約30年前、私たち夫婦が新婚時代に住んだ街。当時住んだ賃貸住宅の場所に行ってみたら、ちゃんと建物は残っていて、塗装店の資材置き場になっていた。妻と二人で、懐かしんだのは言うまでもない。


2009.3.8(日) 夜のパレード

 
ユニバーサル・スタジオ・ジャパンに、ついに夜のパレードが登場した。
 3月5日から始まり、最初の週末となった昨日7日(土曜日)は、パレードを見ようと、ものすごい人出になった。テレビCMに刺激され、天気も良い暖かな春の宵を、家族やカップルでパレードの幻想的な光に包まれて過ごすのもいいか。年間パスホルダーが一斉に繰り出した結果が、この日の大混雑となった。私が今までに見たUSJの人出の最高記録だ。
 さて、私は、自宅で昼食の後、ゆっくりと2時過ぎに家を出て、カメラだけは持って行ったが、パレードは夜の7時なので、園内でボーっと過ごす。夕食は、マクドのクォーターパウンダー・セットでWBCの応援クリアファイルをおまけにもらう。そしてきょうもまた、ベネトンの閉店90%OFFセールに立ち寄り、孫の服を買って、再入場しようとしたら6時40分、例の顔認証の長蛇の列。それでも6時50分に入場。
 席取りは派手に行われていて、前列で見るような贅沢なことは無理だが、立って見られる良い場所は沢山ある。カメラを構え、絞りやシャッタースピードをどうすればよいか、考えるよりも、ぶっつけ本番。結局私のデジタル一眼レフもどきの機種では、これが限界。実物よりも綺麗に撮れるはずはなく、手ブレやピンボケ、光量不足、等々、失敗写真が多い。やはり、写真よりも見ることで満足しようと決めたが、それでもシャッターを押し続ける。下手くそな写真の一部は、写真集でご覧下さい。

 さて、感想だが、元々イルミネーションが大好きな私には、たまらないGOODなパレードでした。これから、時々、会社帰りに見に行くこともできる。カバン提げてUSJは、私の得意の行動になるかも。
 ディズニーランドのパレードとどっちが良いか、と聞かれたら、私は東京ディズニーランドの昼のパレードしか見ていないので、比較コメントは出来ないが、ここのパレードは絶対にお勧めであります。なお、パレードの時間が平日と休日で異なるようなので要注意。




2009.2.14(土) デジタルテレビ

 
ついに、我が家にデジタルテレビが入りました。
 以前から何となく、まだまだ地デジ完全移行の2011年までは現実感がなくて、買うとしたら液晶かプラズマか、メーカーはシャープかパナソニックか、などと、電気店に行ったついでに見たり考えたりしていたものですが、ひょんなことから夫婦で購入を決意し、先日無事に即日配達で設置されて、美しい映像が、ちゃんと映っております。
 機種は、色々考えた結果、パナソニックのフルハイビジョン、プラズマとなりました。パナソニックは、どちらかというとご近所のメーカーであり、これまでも私の心の中に信頼感のあるブランドでありました。そして、フルハイビジョンには、多少価格が高くても、こだわって張り込むべきと考えました。さらに、プラズマを選択するに到ったことについては、大いなる決断であります。いまや、液晶が圧倒的なシェアを占めているのには、電気代が安い、照明などの映り込みが少ないなどの理由があるようですが、部屋の狭い我が家では、至近距離の斜めからテレビを見ることも多いので斜めでも色が変わらないことと、画像の色の美しさ、動きに強いことを重視して、確信をもってプラズマに決めたのであります。
 そして、当然ですが、価格交渉には腕によりをかけて臨むつもりで出向いたところ、開店時間一番乗りで、いきなり特別価格が掲示されて、結局実質的に、「価格.com」よりも安い値段になりました。念のため、その後の新聞チラシを見ても、そのような驚きの価格は出ていないので、その点でも満足。
 テレビがこんなに綺麗なものだったのかと、あらためて感心し、今までのテレビでは見えなかったベテラン歌手の細かいシワまで見えて、いいのか悪いのか。自分の撮った写真のCDや、SDカードを持ってきて写してみると、新たな世界の美しい画像が展開されるし、今撮った写真を、すぐに皆で見ることもできて、なんか、楽しい。テレビを囲んで、家族の会話が少しだけ増えたような気もする、きょうこの頃です。


2009.1.6(火) USJ

 
ユニバーサル・スタジオ・ジャパンに行ってきた。きょう、仕事帰りに寄り道したのだ。きょうがイルミネーションの最終日なので、名残を惜しんで、どうしてもこの目でもう一度見て記憶しておきたいという気持ちに駆られた。カメラは持っていない。仕事カバンを持ったオッサンが、巨大ツリーの見える公園の手すりに寄りかかって長時間、たたずんでいる。暗いからいいだろう。確かに浮いた存在だが、私は気にしない。
 ツリーのイルミネーションが、最高に美しい変化を見せている。カメラなしで鑑賞するのも、またいいものだ。ひたすら眺めるだけ。どうしても写真では綺麗さがわからない。
 帰りの電車に乗って自宅までの途上は、ただの通勤帰りのオッサンになる。ただ、買ったものがあるので、USJの紙袋を抱えているのが、やはり面白いか。


2008.12.28(日) 回転不足

 
フィギュアスケートの全日本選手権が終わり、ほとんどの選手にとっては今シーズンの競技が終了となった。これから世界選手権や四大陸選手権に出場する一握りの選手に選ばれたのは、実力で勝ちとった人。結果を見れば、今回の大会は、全日本チャンピオンよりも、世界選手権をかけた大会だった。2連覇を狙った浅田真央は別だが。いずれにしても、ここには、今の採点基準に対応した各選手の作戦の成否が表れている。
 日本スケート連盟のHPに採点結果が公開されているので、参考にする。
 直前の6分間練習でアクシデントのあった安藤美姫。当初4回転ジャンプを考えていたが、6分間練習の最後に4回転サルコウを跳んでみたが転倒、さらに3回転サルコウも転倒し、練習時間終了で右足をおさえながらリンクサイドへ。厳しい状態で本番に臨んだ安藤は、3回点サルコウを成功し、全体的にも何とか点をまとめた。
 浅田真央は、まさにエンジン全開で、点をまとめるなど考えもせず、やや不調のようではあったが、トリプル・アクセルを2度跳ぶ予定通りのプログラムで臨んだ。GPファイナルで見事成功したものを、そのまま再現するだけのことなのだが、結果的に2度とも「回転不足」で失敗ジャンプとなった。この辺が村主章枝よりもフリーの点が低くなった最大の要因となる。
 前日SP1位の中野友加里は、今季何度も認定されなかったトリプル・アクセルを避け、出だしのジャンプはダブルアクセルにして点を確保する作戦に出た。こういう作戦は、この人にとっては初めてで、その守りの気持ちが、結局その後のいくつかのジャンプを失敗させてしまう迷いにつながり、表彰台をも逃す最悪の結果となった。
 では「回転不足」がどれほど得点に影響するかを実例で見てみる。
 浅田真央の冒頭の「3アクセル+2トゥループ」は、綺麗に決まったように見えたが、3アクセルは、わずかに回転不足。このとき、この3アクセルは、2アクセルの基礎点と失敗ジャンプの悪い評価点しか付かない。続いて跳んだ3アクセルの単品の時も同じ。ちなみに、単品の3アクセル回転不足は、2アクセルの失敗(基礎点3.5+減点)で、2.70点だった。中野友加里の最初の2アクセルが4.30点、安藤美姫の最初の3サルコウが5.90点となったのと比較してみても、回転不足による失敗が、いかに低く評価されるか顕著にわかる。見た目で3アクセル成功が、ビデオ解析でここまで低く判定されなくても良いのではないのか、と素人ながら思えてしょうがない。しかし、真央は回転不足に果敢に挑戦し続ける。これからも続けると思う。真央の今大会は、3位以内ではなくて1位が目標だったし、それは、2010年のバンクーバーを見据えているからだ。
 懐かしい5年前の全日本選手権の写真(長野ビッグハット)。



2008.12.6(土) 一万人の第九

 
大阪の「サントリー一万人の第九」は、今年が26回目。東京・国技館の「5千人の第九」が今年25回目で、大阪の方が1年先輩となる。合唱の人数が実際は1万人を超えていて、1万4千人とか聞いたことがある。観客が7千人だから、このチケットの入手は至難となる。1万人の規模は、単に5千人の2倍というだけでもなくて、内容もかなりハイレベルだ。何でも団体でするものは西高東低で、このイベントが盛り上がるのもうなづける。指揮は佐渡裕。レナード・バーンスタインに師事した彼は、この「一万人の第九」に情熱を注いでいる。スポンサーのサントリーも第一回から、何があってもこれだけは守っている。毎日放送は、番組の収録という域を超えて大事業を支える。
 今年抽選に当たり、久しぶりに出演できることになった私は、練習不足でも何とかここまでこぎつけ、明日の本番を迎える。きょうは本番前日の公開リハーサル。初めて全員がそろう場でもある。しかし、参加者は皆練習を積んでいて、合唱のスキルも高くなっているので、指揮者の指導があると、すぐに一回で修正される。リハーサルは予定時間を超過して午後7時10分頃に終り、明日に備えて急いで帰宅した。
 
 このイベントは、参加すること自体で感動するので、実は心配なことが一つある。「蛍の光」を最後に歌うことになっていて、感激で歌えなくなってしまうことがある。今日はリハーサルなのに、涙が出てうまく歌えなかった。第九は年末の振り返りの歌であり、今年の集大成だから、何故か感動するのだ。紅白歌合戦の最後に蛍の光が観客も含め全員で歌われるが、そのときも私は涙しているので、同じだ。

 明日はどんな第九になるか、自分も主役の一人なので、楽しみだ。


2008.10.4(土) 煙と暗闇

 
大阪ミナミの個室ビデオ店火災。煙に巻かれて亡くなった人がほとんどだと思うが、実際に煙に巻かれた経験が無いので、どういうものなのか本当の体験談はできないものの、以前に訓練で2回ほど煙体験をしたときの状況を思い出す。一度は、明るいテントの中で行われた訓練だったが、一度は神戸市の消防学校の施設で体験した真っ暗闇の煙体験。その煙は体に害の無いものだから安心だったが、それでも、真っ暗闇を避難するには随分時間がかかった。それに助かる保証の無い恐怖感が加わったら、いったいどうなるのかと思う。しかし、訓練というものは、それなりに効果をもたらす。私は少なくとも、火災で煙に巻かれたらこうなるということが予測できる。

 ところで、暗闇の体験のもうひとつの話。今の世の中、本当の真っ暗闇の場所は少ない。いや、昔だって、月や星の明かりがわずかにあるので、夜でも真っ暗ではない。でも、煙が充満した部屋は、視界が数センチにまで落ちるので、本当の真っ暗闇になる。それが訓練で体験したものなのだが、実は、自然の中でも真っ暗闇の体験が私には一度あるのだ。
 十数年前、富士登山も何回目かになるとき、三男と二人で登った時のこと。陽が落ちて暗くなり、8合目から上を目指していた。富士登山では、これぐらいのことは普通のことで、山小屋から照らすライトの灯りも、登山道のかすかな道標になっている。そこに月が出ていたりしたら本当に明るい。月明かりと言うものがこんなにスゴイものかと感じるのが富士登山ならではなのだ。
 しかし、夜の富士登山には懐中電灯かヘッドライトが必須で、足元を照らしながら進む。山の天候は変わりやすい。やがて霧の状態になり、懐中電灯の明かりが頼りとなる。濃霧でも足元は照らせば十分見える。しかし明かりが無ければ完全に暗闇となる。ところが、心配なことが起こった。懐中電灯の電池が弱くなり、予備の電池は持っていなかったのだ。登山客の少ない時間帯、他の登山客をあてにすることはできない。少し進んでは立ち止まって休むのを繰り返す胸突き八丁。休む時間の方が長い。そのとき取った手段が、休憩の時に懐中電灯を消すこと。二人で話をして寂しさを紛らす。しかし、すぐ隣にいる三男の顔は全く見えない。自分の手を目の前に持っていっても見えない。「なんにもみえないな」と言って、人生初の暗黒の世界の体験を語り合った。この電池が無くなったら、もう一歩も進めない。かろうじて次の山小屋に着くまでの、貴重な体験だった。


2008.9.23(祝日) オリンピックの後

 
北京オリンピックが終った。今から遡ること6年前の2002年に、私は北京へ旅行した。オリンピック開催決定に沸き、建物や鉄道の建設ラッシュ。街中が砂埃。快晴でも空はセピア色。そして今年の開催までに、多くの競技会場が出来上がり、無事の開催となった。競技会場も選手村も、これから中国の発展の象徴のように活用されることになる。
 東京オリンピックもそうだった。遺産は今でも有効に活用されている。国立競技場、代々木体育館、武道館等々。オリンピックの開催にこぎつけた後の発展が、日本にとって歴史的にも意味のあるものとなった。中国が様々な問題を解決しながら五輪後の発展をしていくことを願う。鳥の巣がその象徴となるはずだ。

 1997年8月、私は夏期休暇を利用して米国・ジョージア州のアトランタに行った。アトランタ五輪の翌年である。合理的にオリンピックを開催したアトランタでは、競技場を新たに作ることは最小限にしたので、これといって目立ったものは残っていない。開・閉会式が行われたメイン会場の陸上競技場は、オリンピック終了後に改造してアトランタ・ブレーブスの本拠地野球場となった。選手村は新たに造っていない。その17年前の1979年に私がお世話になったことがある大学の寮などが、そのまま使われたようなので、懐かしくて見に行ったら、当時と何も変わっていなかった。アトランタ五輪から1年経ったら、遺産は何も無し。遺産は往々にして後々に負荷を残すから、それで良かったのだと思う。

 テレビ放送が普通に戻り、猛暑の日々が少し懐かしく感じるような気温になり、秋の気配がする。夏は終わった。