最近思うこと(日記・エッセイ)
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2006.12.24(日) ディープインパクト

 
競馬をやらない人でも、この馬の名前は知っているはず。
 東京へ来て初めて競馬場に行った。中山競馬場。阪神や小倉に比べて、古い感じのする競馬場だ。錦糸町から近いので、気軽に行ける。とはいえ、きょうは今年の中央競馬締めくくりの有馬記念。そして、ディープインパクトの引退レース。16万人の観客の中で、果たしてディープを見ることができるんだろうかと、あまり当てにせず、だめもとで行ってみた。

 さすがに、スゴイ、人人人・・・。
 まず、記念に取っておくための100円馬券を何枚か購入。同じ馬券を何枚も買うのは初めてなので、係の人に聞いてみた。1枚のマークカードで何枚か買えるのかどうか。答えは、馬の名前が入った馬券を1枚ずつ複数枚買う場合は、マークカードも1枚ずつ、書かなければならない。

 機械で購入を済ませたところで出走1時間前。パドックの場所を見ると、既に人垣で見えたもんじゃない。何ヶ所か場所を移動して見てみたが、どこも同じ。やむなく意志を固め、人の頭の間と、頭の上から覗くことにする。私の身長が有利に働く。結構写真も撮れた。ディープインパクトの写真であります。

 全ての馬がパドックから本馬場へ向かったら、今度は私もスタンドへ向かう。と、言葉で言うとスムーズな移動に聞こえるかもしれないが、このレースのパドックをしっかり最後まで見て、それからスタンドへ行っても、それは普通なら「無理」なのだ。見にくいとかではなく、あの広いスタンド前の広場に入ることすらできない。入口の人垣の後ろで、これはもう、あきらめてテレビで見るのかと考えていたとき、ラッキーなことが起こった。後ろから、津波のように、満員電車に乗るときのように、私は何もしなくても体が場内に押し出されたのだ。もっと押してくれ、と思った。押せばまだ入るものなんだ。

 かくして、緩い傾斜のゴール前の広場に立った。状態は満員電車。手も動かせない。それでもカメラを守る。ここでも私の身長が役に立つ。16万人の歓声、拍手、独特の雰囲気。GIレースを見たことが無いわけではない。でも、これは格別なレースだから、雰囲気もある。
 レースが始まる。一度眼の前を駆け抜け、2周目、最後の直線で、こちらに向かって飛んでくるのがディープインパクトだ。4コーナーに入る手前までは後ろから4番目。そこから最後の直線で10頭を軽く抜き去って大差で1着。この馬だけは、絶対に負けないように見えた。感動というのは、こういうことなんだとも思う。競馬のことをあまり上手く表現できないが、この馬を見ておくことは、価値のあることだったと納得している。

 ノロが流行っているから、こういう人ごみでは気をつけなければいけない。一切ものを食べず、手すりなどに触れず、トイレでも手を洗ったらエアー乾燥をする。自分の財布など以外には触らなかった。買った馬券が機械から出てきたのを触ったぐらいか。

 今日はクリスマスイブだった。単身ひとり暮らしの侘びしさも、ディープインパクトの感動で吹き飛んだ。例年この年末の日曜日というのは、競馬の有馬記念、京都での全国高校駅伝、そして全日本フィギュアスケートが行われる日なのだが、今年の全日本フィギュアの日程はは変則で、私にとっては行かれない平日の開催となってしまった。29日は年末休業の人も多いとは思うが、ちょっと悔しい。


2006.12.18(月) 真央の失敗

 
昨年のGファイナルで優勝したからといって、今年も優勝だなんて期待をかけすぎた。ジャンプは失敗するものであり、成功の確率を下げる要因といえば、やはり環境にある。よその土地で競技に臨むのは、どんなスポーツでも大変なことだと思う。

 そもそも昨年のGファイナルが出来すぎだった。しかし、今回は、あれだけジャンプを失敗しても2位なのだから、真央のレベルは、かなり高い所に来ていると言える。自信を持って良い。

 グランプリシリーズは、どうも本当の世界一決定戦になり得ない興行イベントに留まる。男子だって、プルシェンコは出ない、ランビェールも2試合目欠場。女子では、海外の主力選手が一様に様子見で、出ていない。日本の選手が目立つのは、それなりに日本人中心に出場するシリーズだからだ。

 バラバラと出場する選手が、今度の全日本選手権には、まとめて出てくる。ただし日本人だけ。いや、その日本人選手が、わけ隔てなく、トップの24人が出るのだから、もっとも見応えのある試合になる。昨年はトリノ五輪の最終選考でもあり、最終日最終組の6人のガチンコ勝負は、緊迫と怖いほどの熱気だった。6人ともノーミス。最終組6人全てがノーミスの試合は、私も初めて観た。あの荒川静香だって選考で落ちたかもしれない紙一重の試合だった。そのときの真央ちゃんは、悪い出来ではなかったが、お姉さんたちの迫力に圧倒されていた。真央ちゃんの演技は、小学生のときから見てきたので、どうしても気になる。真央は全日本でメダルが取れれば十分。目標はバンクーバーでの金メダル。着実に進んでいる。キム・ヨナというライバルがいることが、とてもいい刺激になり、このまま二人は競いあって向上する。

 太田由希奈の全日本は、復帰シーズンの締めくくりになる。1桁の順位になるよう祈っている。高度なジャンプはいいから、美しいスパイラルとレイバックスピンを見せてほしい。
 そして私は忘れていない中野友加里。もう一度トリプル・アクセルに挑戦してほしい。そして世界一のどーなつスピン。頑張れ中野友加里。

 残念だが全日本選手権は、テレビで、ビデオ観戦になる。


2006.12.16(土) 忙中、行動あり

 
師走だからみんな忙しいのだが、このところ公私共に忙しい日々が続いて、HPの更新もままならず、きょうは思い切ってフル活動の日にした。
 朝一番の錦糸町シネマ8へ行って、「007」を観た。このシリーズ、欠かさず観てきた私だが、ボンド役が交代し、従来エスカレートし続けたスケールの大きいSFのような設定がなく、原点に戻った感じ。お客さん、あまり入っていない寂しい映画になった。やはり映画は満員で熱気のある雰囲気がいいのだが、007の人気は、こんなものなのかもしれない。ニューヨークの映画館で「ムーンレイカー」を観たときの盛り上がりが思い出される。

 午後は所用の後、日が落ちたら、都内のイルミネーション・ツァーに出かけた。もちろん、いつものように、一人でカメラを持って、電車またはウォーキング。目的は写真を撮ること。イルミネーションのスポットは無数にあるのだが、今回は、次の5ヶ所。雨の前の暖かい夜だから体も楽だ。
 @文京グリーンコート・・・これは毎日見ている、ささやかなイルミネーション
 A東京ドームシティ
 B東京タワー
 C六本木ヒルズ・・・毎年、圧巻の電飾木
 D表参道ヒルズ・・・新名所の「あんどん」のようなのは消灯時間だった
 Eカレッタ汐留・・・海をテーマにした新しいイルミネ
 
 これだけ回って、帰宅したら12時半を回っていた。写真掲載は、明日に。

 今夜のフィギュアスケート、グランプリファイナルは、録画してあるので、あとで見る。日本選手に期待が集まる。昨年は東京の代々木第一体育館、3日連続で通った原宿の駅前で、きょうはそうだったなと思い出す。今年はロシアのサンクトペテルブルクでの開催だから、見に行くわけにもいかない。明日の放送はちゃんと見ることにする。


2006.11.13(月) 中野友加里がさらにレベルアップ

 
グランプリ中国大会で中野友加里の成績は2位に終わったが、内容的にはジャンプの失敗がそろってしまい、やむを得ないところ。
 しかし、昨夜深夜に放送されたエキシビションをビデオで録っておいて、きょう見てみると、なんと、スゴイ。ジャンプもスピンも、昨年よりかなりレベルアップして、ドーナツ・スピンなんか、昨年よりもさらに高速になり、おそらく世界一の出来になっている。問題のルックスの方は、年々見違える成長ぶりで、それに技術が付いてきたので、今年はいい線いける。
 日本人選手が毎試合2−3人ずつ出場しているが、国内の争いの頂点である年末の全日本は、勢ぞろいになり、熾烈な戦いになりそうだ。荒川静香が抜けても、まだまだ選手層が厚いのが日本なのだ。
 安藤、村主、浅田真央、中野の4強の中から、誰が3人枠の世界選手権出場資格を取るのか、面白い戦いが、12月29日の名古屋で見られる。私はテレビで見る。その日はまだ営業日。
 ところで、私の太田由希奈さんは、地区大会を丹念にこなし、全日本の出場資格を得たので、いまは成長途上の新人みたいな状態。なかなかテレビには出ないのが残念。


2006.10.29(日) 浅田真央の失敗

 
フィギュアスケートの国際戦シーズンが、今週のスケート・アメリカで開幕した。今年はテレビ朝日がグランプリ・シリーズを放送するらしい。世界6か国で行われるシリーズ。そのうちの日本グランプリは「NHK杯」だから、これだけはNHKの放送だろうか。
 昨年、ファイナル優勝の浅田真央は、初戦からの参加。そもそも、どの大会に参加するかは、個人の任意ではなく、各国のスケート連盟の推薦で割り当てられる。どの大会に出るか、その大会に他国のどの有力選手が出るのかで、当然各大会での順位に影響する。昨年荒川静香は、出た2大会、いずれも3位で、ファイナル出場のためのポイント上位6人に入れなかった。つまり荒川静香は五輪シーズンのGファイナルに出られなかったのだ。その2大会で荒川よりも上位の1位・2位だったのは、中国GPでスルツカヤと浅田真央、フランスGPで浅田真央とサーシャコーエン。組合せが悪かったということだ。
 ちなみに、昨年のサーシャコーエンは、1試合をケガで欠場したため、ポイントは1試合しかなく、私が楽しみにしていたファイナルでのコーエンの生演技は実現しなかった。

 今年は順位ポイントが改定になったが、おそらく3位が2回でのファイナル出場資格は難しい。今回3位になった浅田真央は、次のNHK杯で、2位以上が必須となる。NHK杯に出る主な選手は、日本から村主章枝、中野友加里、他国からは浅田真央よりも実力のある選手は出ない。でも何があるかわからない。強敵は日本選手ということか。

 ところで、ジュニア選手権で浅田真央を破った韓国のキム・ヨナは、次のスケート・カナダに出てくる。真央のライバルがどう成長してくるか楽しみだ。

 きょうの浅田真央の失敗は、実に予想外だった。3A(トリプルアクセル)の失敗はあり得ることだとしても、その後のジャンプにまで引きずってしまうのはまさに「シンジラレナイ」。彼女にはありえない事だった。4分間のフリー演技の中で、どこで何をするかは、一応予め決めて提出していて、審判やテレビ解説者はそれを見ているのだが、それをその場で変更しても何のペナルティもない。もしかして真央は、どこかで早めに3A再チャレンジを考えながら滑っていたんではないだろうか。

 きょうの敗因のひとつ。アナウンサーも解説者も言わないが、私はどうしても一つあると思っている。滑走順の問題。前日上位6人が最終組となり、その中での順番は前日に抽選で決まる。その最終組1番滑走となった真央に、思わぬ落とし穴。1番滑走が当たる確率は6分の1。詳しくは覚えていないが、真央が1番滑走になったのは、久しぶりのことではないだろうか。前日から決まっているのだから、準備は出来る。しかし1番滑走の負荷は、そのときの体調にもよる。

 4分間のフリー演技は体力を消耗する。若い真央でも消耗はする。その前の「6分間練習」は、最後の調整の時間なのだが、もしもそれをフルに滑ったら、本番に影響するので、1番滑走者は終了1−2分前に練習をやめて休むものだ。若い真央にはそれほど休まなくてもいいのかもしれない。しかし程度問題だ。真央は6分間練習で何度もジャンプの練習をしている。3Aも軽々と成功している。観客もそれを見て拍手をしている。そしてその筋肉のわずかな消耗が、本番の緊張とあいまって、3Aを飛ぶ瞬間に影響した。きょうのフリー演技での失敗の最も大きい要因はこれだと私は思う。

 こういう微妙なものは、場面を切り取って編集しているテレビ映像では、ほとんどわからない。現場で見るのが一番。それにしても、スケート・アメリカは、空席がやけに目立ったね。見に行けないこともなかった、という発想はすぐ出るのだが、やっぱり無理か。ニューヨークの隣、コネチカット州ハートフォード市。今回初めて知った地名。


2006.10.9(祝) 東京フィギュアスケート選手権大会

 
きょうは、フィギュアスケートのシーズン開幕戦。といっても、国内の大会は数多くはない。各地区の大会の上位者が東日本大会へ進み、その後、年末の全日本選手権となる。

 中野友加里と村主章枝は、昨年の実績から、いきなり全日本に出場資格があるので、この大会に出なくても良い。案の定、エントリーしていた村主章枝は欠場。無駄なエネルギーは使わない。そして中野友加里はもちろん出場。彼女は、こういう大会も丹念に出場する。こつこつタイプ、努力家タイプ。決して美人ではない。私的には、とても好感の持てる選手だ。
 何より、中野はオリンピックイヤーの翌年にあたる今シーズンに、大きな飛躍を目指している。きょうのフリーの演技も新プログラムの初披露となった。最初にトリプルアクセルも決め、エンジン全開。見応えのある演技だった。もう一人私の、きょう一番の注目が、浅見一葉(あさみかずは)。結果は4位だが、小柄な体をサーシャコーエンのような青のコスチュームで包み、きびきびとジャンプを決めていた。さらに高難度の技を磨けば、きっと上位に入れる逸材だと見た。

 ジュニアの優勝は武田奈也(たけだなな)。昨年から注目していたのだが、今年は既に海外のジュニア・グランプリシリーズで優勝している。ますます目が離せない成長株だ。

 会場となった明治神宮スケート場は、観客席など無い、普通のただのスケートリンクなので、リンクサイドで観るだけだ。入場料は千円。例年なら手すりに沿ってパラパラと人がいるぐらいなのだが、今年は一体どうしたのだろう。人がひしめいている。フィギュアスケート人気の高まりが、ここにも。


2006.10.7(土) F1日本グランプリ、鈴鹿千秋楽

 
鈴鹿サーキットでF1の日本グランプリは20回目。私が初めて見たのはその1回目。1987年のことだ。HONDAのエンジンを搭載するロータスの黄色のマシンは、アイルトン・セナと日本人の中嶋悟。中嶋は6位入賞の快挙。日本人がF1に出ることも夢のようなことだったが、入賞までしたので大騒ぎ。
 その後2度ほど日本グランプリを見たが、ここ10年以上、見ていない。きょうの予選をテレビで録画しておいて、夜にじっくりと見た。昔の懐かしい映像も出てきた。鈴鹿のコースは完全に頭に入っている。歩いて回ったこともあるし、ゴーカートでも。鈴鹿サーキットは、追い越す場所が少ない難コースなので、決勝レースになると作戦が面白い。この鈴鹿で行うのが20回目で、来年からは富士スピードウェイに場所を移す。HONDAとTOYOTAの主導権争い。鈴鹿は少なくとも5年間、開催権を富士に譲ったことになる。

 私にとって鈴鹿サーキットは、夢の場所だった。大阪からでも名古屋からでも、車で家族とともに鈴鹿サーキットに行ったものだ。ここは遊園地でもあり、レース場でもあり、レースの無いときはゴーカートでコースを走らせてくれる。F1は年に一度しかないが、他の国内レースも結構迫力満点で、その迫力に惹かれて、年に1−2度は行っていた。きょう、テレビに写る光景を見ると、昔に比べてずいぶんスタンドが増えている。私たちが行っていた頃は、指定席が少なくて高い抽選倍率だったし、一般自由席は、土手の斜面に座るだけのピクニック気分だった。それでも席取りは激しくて、夜明け前には場所を確保しなければいけなかった。午後からの決勝レースのために。

 ミハエル・シューマッハが引退する。今回と次のブラジルGPが最後だ。彼は、私たちが見に行っていた頃、ベネトンのチームだった。さすがベネトンというカラフルで美しいマシン。シューマッハの優勝も鈴鹿で一度見た。つまりベテランなのだ。
 セナとプロストのバトルは、鈴鹿で2度にわたる世紀の接触アクシデントがあった。一度は、スタート直後の1コーナーで。もう一度は、最終コーナー前のシケインでの接触。レースには自動車事故のサンプルがある。こうやったら、こういうアクシデントが起きる、というサンプルだ。そのギリギリのところを狙ってレースをするところが面白いのだ。

 きょうの予選の結果、見事に傾向がはっきりと出た。
  1位 マッサ(フェラーリ) 
ブリジストン
  2位 M.シューマッハ(フェラーリ) 
ブリジストン
  3位 R.シューマッハ(トヨタ) 
ブリジストン
  4位 トゥルーリ(トヨタ) 
ブリジストン
  5位 アロンソ(ルノー) 
ミシュラン
  6位 フィジケラ(ルノー) 
ミシュラン
  7位 バトン(ホンダ) 
ミシュラン
  8位 バリチェロ(ホンダ) 
ミシュラン

 ブリジストンの圧勝なのだ。前回の中国GPでも、Mシューマッハが勝ったのは、タイヤのおかげだ。今回も、日本のブリジストンがものを言うことになりそうだ。そして、チームごとにまとまって2台ずつ上位から並んでいる。これも、チームごとの実力差を表している。しかし今回は、大きな実力差は無いように思える。ホンダは今年一度優勝している。トヨタはまだ一度もない。この鈴鹿での日本グランプリに色んな人たちが、それぞれの思いを込めてレースをする。
 引退を決め、最後の年の年間チャンピオに近づく優勝をしたいM.シューマッハ。
 日本でぜひ一度優勝をしたいトヨタ。
 鈴鹿のラストランを地元の意地で飾りたいホンダ。
 マシンもタイヤもドライバーも全て純日本製のAGURIチーム。

明日の決勝レースは生放送で見たいと思う。F1が生で放送されるのは、初めてではないだろうか。


2006.9.30(土) オペラ鑑賞

 
オペラを観るのは何年ぶりだろうか。それよりも、日本国内で海外の来日公演を観るのは私にとって初めてのことになる。ウクライナ国立歌劇場(いわゆるキエフ・オペラ)の来日公演は、既に「アイーダ」で始まっている。私がきょう観たのは「トゥーランドット」。荒川静香の金メダルですっかり日本でもなじみ深くなったこの演目は、今年の流行かもしれない。
 十数年前に名古屋の愛知県芸術劇場で観たときのは、舞台も衣装も簡略型で、出演者も全て日本の人だったが、今回はさすが、総勢210名の引越し公演。全てが本格的だった。CDでは何度も聞いてきたオペラなので、ほとんどの曲が身についている。ストーリーはわかりやすいので、原語、日本語字幕付でも、ほとんど字幕を見ないで聴き入る。
 オペラでいつも気になるのが、配役の人選。歌唱力か身なりか、の問題。その点、今回のは、トゥーランドット姫は歌唱力重視の名ソプラノ。歌がいいので許すことにしよう。カラフ役は、歌もいいしカッコもいい。そして、脇役だが最も大切なソプラノのリュウの役は、バッチリ。私のイメージでは、この役は、ふくよかな女性ではダメなのです。ぴったりの配役で、何度かアリアを歌う場面では、私も例によって、暗い客席だから遠慮無しに、涙ボロボロの感動でした。
 アリア(独唱)の部分で拍手が起こったのは2ヵ所だけでした。一つはもちろん「誰も寝てはならぬ」、そしてもう一つが、悲運の女性の奴隷・リュウの歌う「お聞きください王子さま」。他にもいい場面はたくさんあったが、拍手のタイミングが無い。全体的に、とても盛り上がりのあるオペラなので、体の中に叩き込まれたような感動でした。
 きょうは、行きも帰りも、いつもなら持って行くメモリーオーディオを絶って、トゥーランドットのメロディーを繰り返し心の中で口ずさみながら帰ってきました。たまにはオペラもいいもんです。



2006.9.26(火) しっかりと

 
ついに、私よりも若い人が総理大臣になった。いつかはこういうときが来るのだが。

 安倍さんの会見は、今までにも見たことがあるが、きょうの記者会見を見て、特定の言葉がやたら耳について仕方がなかった。「しっかりと」という言葉だ。随所に出てくる。口癖なのだから治るまい。気にしだすと、気になってしまう。1分間に2回は言っている。一度の会見で、何十回も「しっかりと」を聞くと、この言葉の本当の意味は何だったのか、わからなくなってくる。原稿なしで話すからこうなるのかもしれない。話の中身よりも、そっちの方に気が行って、結局何を話されたのか、わからなかった。


2006.9.18(祝) トゥーランドット

 
オペラ「トゥーランドット」の中で最も有名な曲「誰も寝てはならぬ」は、オペラのアリアの中でも最も聴き慣れた旋律で、オペラを見たことが無い人も、きっとどこかで聴いたことがある曲だ。
 今年は、トリノ五輪の開会式で、三大テノール歌手の一人、イタリアのパバロッティが歌ったし、荒川静香は歌のない演奏の曲を使ってフリー演技で見事逆転金メダル。おかげで、トゥーランドットがすっかり有名になった。

 私はこのオペラを、何年か前に名古屋の愛知県芸術劇場で見た。そして今度、キエフオペラの来日公演で見ることにしている。CDは一枚持っていて、何度も聴いたし、メモリオーディオでも聴いている。

 最近1本の映画ビデオテープを購入した。タイトルはそのまま「トゥーランドット」。1998年9月に、北京の紫禁城で開いた世紀のライブ公演を全曲まるごと収録したもの。それにアーティストやスタッフのインタビューなど、ドキュメンタリー映像も付いている。以前に映画館で、これと少し違う構成のものを見たが、全曲ノーカット収録のは初めてだ。屋外でオペラを上演するのは、音響面では決して良いものでないはずだが、作品の舞台となる紫禁城で、古い建物をそのままステージとして使い、それはそれは見事なものになっている。今度のキエフオペラが楽しみになってきた。

 フィギュアスケートの音楽にトゥーランドットを使ったのは太田由希奈だった。そのお株は荒川静香に奪われた格好だが、私の見た太田由希奈のトゥーランドットは、こうだ。

 2002年12月、京都アクアリーナでの全日本選手権大会。この大会は、女子のフィギュアスケート界で若手がメキメキ台頭してきた意義深い大会だった。フィギュアスケートに注目し始めたのはトリノ五輪前後からと言われる多くの方々には全く知られていない大会で、何しろテレビ放送も深夜に短くダイジェストで放送した程度だった。若手の注目度筆頭は、海外の大会で4回転ジャンプを跳んだ安藤美姫が、国内の大会で成功するかどうかどうか。結果、これは失敗。安藤美姫の4回転ジャンプとの闘いは、これからずっとトリノまで尾を引くことになる。そして名古屋の小学生、浅田真央。3連続3回転ジャンプは世界初として翌日の新聞見出しを躍らせた。
 もう一人、正直私の注目には無かったのだが太田由希奈。地元同志社高校1年、醍醐フィギュアスケートクラブの彼女には多くの応援の歓声が上がっていた。フリーの曲は「トゥーランドット」。私の好きな曲だ。競技の音楽には歌唱が無いものを使うルールなので、あの名曲も、テノール歌手の歌なしで流れるが、盛り上がりのある曲だから、きっといい感じになると予感した。私が太田由希奈を初めて見た時間である。演技が始まる。最初のジャンプが成功すると、最も大きい歓声が上がった。悲鳴交じりのスゴイ歓声だ。地元なんだ、と再認識する。その瞬間に私の目は、着氷のきれいなフォームに目を奪われた。そしてどんどん音楽に合った演技が繰り広げられる。イナバウァーもイーグルも、次々と高いレベルでこなす。所作が美しい。京都のイメージと重なる。あとで考えれば、このときの太田由希奈のプログラムが、全て荒川静香のトリノでの演技になったみたいだ。
 太田由希奈の順位は4位。これからの成長を予感させる。この年、彼女はこの大会直前のジュニア・グランプリ・ファイナルで優勝し、年が明けて2003年のジュニア世界選手権(今年浅田真央が韓国の選手に負けて2連覇を逃した大会)で優勝、2004年にはジュニアから卒業し、四大陸選手権で優勝。トリノ出場の一角を占めることは間違いないと思われた。そしてその年、2004年8月、スケート連盟の野辺山合宿での負傷、それから2年間のブランクとなったのだ。

 太田由希奈。トゥーランドット。イナバウアー。レイバック・スピン。スパイラル。すべてがこのときの私に衝撃の印象を植え付けた。


2006.9.10(日) チャンピオンズ・オン・アイス

 
フィギュアスケートの世界に、まさしく世界最高峰のアイスショーのツァーがあって、荒川静香が今年6月からメンバーに入ったのは、先日テレビのドキュメンタリー番組で見た。

 アメリカを中心に開催されるこのアイスショーが、日本に来るということが決まったのは、ごく最近であり、私にはとても信じられないことだった。一度見てみたい、という思いが夢となって、それをかなえるにはアメリカに行くしかないと思っていたし、格安航空券でも利用して、いつか見に行くぞと密かに考えていたのだった。

 こうなったのも荒川静香のおかげだ。

 そして会員先行販売の案内が来たのが7月末。8月4日の電話受付の日は、仕事で電話をかけることもできず、一旦あきらめていた。

 静岡と仙台でのみ開催される。日本初上陸の9月9日土曜日、ヤフオクを虎視眈々と丁寧に見ていたら、偶然1枚のチケットが出され、私はそれをゲットした。時間も迫った中、定価で即決。チケットは会場入口で授受となった。会場は静岡エコパ・アリーナ。新幹線で行けばいいのかと軽く考えていたら、実は広い静岡県のかなり西にある。静岡から電車で50分。交通費を節約しようと、東京駅からハイウェイバスで静岡駅往復とした。

 席はなんと素晴らしい、生まれて初めて、アリーナ席の最前列。選手の入退場口に近い場所だ。

 アイスショーは日本でもあるが、このショーの作り方は、さすがだ。出場するスケーターは、オリンピックや世界選手権のメダリストばかり。エンタテイメントに徹した構成で、歌手も本格派が来ている。

 荒川静香の日本凱旋とも言われるが、私にとっては「サーシャ・コーエン」をナマで見られること、これが全てだ。昨年末のグランプリファイナルにサーシャが来ることを期待していたが、一度怪我で欠場したためファイナルの出場資格に満たなかった。どうしてもサーシャを見るには、もうアメリカに行くしかないのかと思っていたのだ。それが、この目で見られる、しかも最前列で。

 オープニングが始まる。サーシャが出てくる。間違いない、サーシャコーエンが、そこで滑っている。オープニングの登場場面では、その人の得意技を見せるのだが、当然のように、あの空中で180度以上に足を開くバレェジャンプ、そしてスピン、世界一のスパイラル。もうこれだけで大感激。いやいや楽しみはまだこれから。

 荒川静香が演じた最初の演技は、アベマリア。サラ・ブライトマンの歌だ。白い衣装で舞う姿は場内の全ての観客を魅了する。競技ではなくショーだと言うことが、これほど優雅にさせるものなのか。現役選手時代の、硬くて失敗が目に付く姿はもうない。

 特別ゲストの村主章枝もきれいだった。何しろ二人ともジャンプの失敗が無い。なお、この特別ゲストは、静岡では村主章枝、仙台のときは中野友加里となっている。村主さんはまた新しいプログラムで、とても新鮮だった。

 スルツカヤは、また一段とふくよかになって、ちょっと幻滅。ジャンプの失敗も。トリノのフリーの時を思い出す。

 演技は一人一回ではなかった。結果的にほとんどの人が2回やっている。一度だけだったのは特別ゲストの村主章枝と、サーシャコーエン。

 荒川静香の2回目は、最後の演技で、「ユー・レイズ・ミー・アップ」。トリノのエキシビションの曲、構成、衣装もそのまま。それを間近で見られたのもうれしい。

 サーシャ・コーエンの演技について、文章で書きたくないような気がする。下手な文章表現ではイメージが壊れるからだ。従って、おおざっはに思ったことだけを書いてみる。
 暗闇の中、リンクの中央にスポットライトが当たると、そこに間違いなくサーシャがいた。しかもその身にまとっている衣装は、あのトリノ・オリンピック、SP(ショートプログラム)のときのものだ。ブルーにカラフルなフリルの衣装は、あのときの最高の演技を演出したもので、その衣装を着て、そして始まると、何とその曲は、あの時と同じ「黒い瞳」。ジャンプを一つ失敗して尻餅をつくところは、いつものサーシャらしい。しかし他は完璧で、歴史上を見ても類の無い世界一のスパイラルは、小さな身長を感じさせない高く一直線に伸びた足で、この世のものと思えないガラス細工の白鳥のようだ。そして、トリノのSPではなかった得意技のバレェジャンプを披露する。ひときわ高い所に飛び上がった鳥のようだ。ストレートライン・ステップ・シークェンスが、だんだん速くなる曲のリズムに乗って観客の手拍子も最高潮になる。時間が惜しい。わずか3分、一回だけのサーシャコーエンの演技は、確かに現実の私の目の前で行われた。

 トリノのSPは、歴史上の最高の演技だと私は思っている。もちろんそのときのビデオは消さずに永久保存版にしている。フィギュアスケートを見てきて、これほどのものが現実に出来るのだと、夢が現実になったことに驚いていたのだが、そのSPの演技を、私の目の前で、ほぼそっくり再現してくれたことに、私は感動せずにはいられない。終わった後にライトが消える。夢を見たのかと疑う。いや、現実に間違いない。

 これ以上書くことが無い。生涯最高のアイスショーを見せてもらった。


2006.8.20(日) 甲子園

 
金曜日夜、8時まで仕事をした後大阪の自宅へ。
 土曜日、早朝から甲子園へ。準決勝2試合、3塁側にて観戦、というより応援。
 日曜日、自宅テレビで観戦。どっちも応援。
 日曜夜、東京に戻る。新幹線自由席満員で立ちっぱなし。

 以上が私のお盆休み。
 


2006.8.16(水) 神宮外苑花火大会

 
もうひとつの東京名物の花火大会、神宮外苑花火大会を国立競技場のスタンドで見た。BoAのコンサートの最後にかぶって花火が打ちあがる。野外コンサートのノリで花火を見る若者たちの劇場型花火大会だ。今日も天気が心配され、結果的には良い天気になったのだが、花火大会にとっては悪天候とも言える無風に近い状態だった。集中して打ち上げるところは、ことごとく右半分が煙に巻かれる残念な大会となった。先日の東京湾も半分が煙だったが、花火の大きさの迫力が良かった。きょうはそれ以上に残念。でも会場内は盛り上がる。
 神宮外苑の花火大会は歌手の出演するイベントが盛りだくさん。全方向から花火が見られるので、風上だった軟式球場から見た人は、少しきれいに見られたかもしれない。

 さて、どう評価をしようか。東京の花火大会では人気上位の東京湾と神宮外苑を今年は見たが、悪条件もあり、やはり今のところ私のbP花火大会は、江戸川ということになる。


2006.8.14(月) 東京湾大華火祭、そして首都大停電

 
今朝の首都大停電、結果的に直接私の所では起きなかった。朝の出勤途上、その一報は電車の中で聴いていたフジテレビの朝の番組「特ダネ」の音声。次々と停電の範囲が広がり、会社に着いた頃には、まさに首都大停電。エレベーターに乗るべきか、ためらったが、動いてるんだから、ここまで停電が来る前に、さっさと乗ってしまえと、無事22階に着いた。エレベーターに閉じ込められるのもかなわんが、階段で22階へ行くのも容易ではない。

 昨夜の東京湾大華火祭について、ここの花火大会は初めてだから、論評を書かないわけにはいかない。ヤフオクで入手した入場整理券を持って、列に並んだのは午後2時。東京の花火大会で、場所取りに並ぶ時間としては初めて午後に、最も遅い時間となった。しかし、私が並んだときは百人程度の列だった。そしてその後1時間経ったら、列は千人ぐらいに延びた。午後5時前に入場する。「走らないでください」という係員の呼びかけに従う人はいない。私も走って走って、とにかく一番前の場所に座った。
 ここの花火は大きいのが特徴だから、最前列と言えども打ち上げ場所から少し離れる。花火は、確かに大きい。尺玉(直径30センチ)が100発、尺五寸玉(45センチ)が10発。爆発音が体に響く。晴海埠頭の建物に反響する。型ものなんか、飽きるほどたくさん打ち上げる。空中ナイアガラというのもあった。とにかく花火の大きさとその数が天下一だ。
 でも少し残念だったのは、花火を集中して打ち上げる時間帯に煙と花火が混じってしまう現象だ。風はそのときの気象条件だから、いかなる方法を考えても準備のできるものではない。それがまた花火の楽しみなところでもある。
 そして、総合的に見て、私の評価はというと、やはり江戸川の方が高い。花火を集中的に打ち上げる芸術は他のどこにもない。東京湾大華火祭も残念ながら江戸川には及ばない。そういえば東京湾では、感動の涙までは出なかった。

 レインボーブリッジを背景にした一瞬の花火の構成は、花火大会の感動の一ページにはなったので、記憶に留めておく。あとは今週水曜日の神宮花火大会。国立競技場で見る。これで今年の花火大会は終わりにする。


2006.8.12(土) 8月12日

 
なかなか今年もお盆休みとはいかず、東京にいる次第です。
 きょうもし大阪に帰っていたら、きっと甲子園に行っていたと思う。

 早実と大阪桐蔭の対戦は、私も、両方とも地方大会から見てきたチームの対戦だけに、興味深い。早実の斎藤投手と桐蔭の2年生4番打者中田の勝負は圧巻だった。4打席を完璧に抑えた斎藤の完全勝利となった。4打数無安打、3三振。最後の一球はど真ん中の速球を空振り。大差で敗れた大阪桐蔭は、結局投手陣が弱かった。伝統校でもあり、投手王国だったこの学校も投手で総崩れとなる試合もある。

 きょう開催予定だった東京湾大華火祭は、朝の10時に延期が決定し、今日は出かける予定が無くなった。午後は激しい雷雨で山手線も止まるほどの混乱になったが、夕方6時頃には雨がやみ、花火大会は出来たことになる。しかしこの花火大会は、朝の10時に中止決定するのだ。きっと精緻な局地予報を使って判断をしているのだろう。明日に順延だから、楽しみは明日に。

 21年前の8月12日、東京から大阪へ向かう日航ジャンボ機が墜落した。今も東京・大阪間の飛行機を利用することが多い私は、最近伊丹のジャンボ乗り入れが無くなったものの、この事故がとても臨場感をもって感じられるのだ。羽田を離陸し、右に旋回して江ノ島、平塚の沿岸を通って、富士山の横を通る。しかし、爆発音とダッチロール、恐怖の時間を想像する時間でもある。飛行機に乗るたびに、決して忘れることが無い8月12日なのだ。

 NHKで思い出のメロディーという番組をやっている。一人でテレビを見ながら口ずさむ。時おり涙ぐんでしまう。
 きょうの最後は、チャングムの誓いでしめくくる。


2006.8.11(金) スタンプラリー

 
昨日午後、仕事中の移動で山手線を利用したときのこと。いつもの日中のこの時間には見られない乗客で車内は賑わっていた。夏休みの子供たちと親が、乗ったり降りたり。子供の手にはスタンプラリーの冊子。そうなのだ。駅にあるスタンプを押して回る期間限定のイベント。それも時々見かけるような程度ではない。どこの駅でも、どの列車も、子供たちであふれかえっている。時間が9時半から16時までの間となっているので、まさに、スタンプラリーのラッシュアワーでありました。

 さて明日は、私にとって初体験の東京湾大華火祭。天気予報は夕方に雷雨。決死の覚悟で場所取りから始め、最後に雨上がりの美しい花火、といくか、雨中の花火となるか、あるいはまた雨天で順延か。ちょっと楽しみな時間です。


2006.8.7(月) パソコン修理

 
パソコンのディスプレイが、何度か切れかけの蛍光灯のようになった後、ついに消えてしまい、迷わずそのディスプレイだけを外して錦糸町のヨドバシへ手で持っていった。迷わず、とは、プロフェッショナルのtanashi氏に以前に相談していた知識があったから。ヨドバシのPCドックのカウンターの女性に対して、いろいろ説明するのも面倒くさい、閉店間際の午後九時、とにかくメーカーに出してと言って預けてきたのが先週の火曜日。きょう電話があって、取りに行ったという次第。
 このパソコンをセットで買ったのが3年前だが、その前に新品から1年が経っているので、4年経過、保証書なしなのだが、不思議なことに、無料で、液晶ディスプレイ画面をそっくり交換してくれた。新しくなったので、とてもきれいな画面です。

 パソコンの画面だけ入院させている最中に、私まで風邪を引いてしまい、ここ数日は苦しい。そんな中で日曜日は、おとなしく甲子園の第一日目の試合をテレビで観戦。3試合とも観てしまった。第1試合の白樺学園は北北海道。スピードスケートの清水、堀井をはじめとする強力なスケートの名門校。惜しくも逆転負け。第2試合は早実。1週間前に神宮で見た選手たちが、そのままのオーダーで出ている。ピッチャーの斎藤もだ。彼らにとって、西東京大会の厳しい戦いに比べると、とても軽い試合のような雰囲気だった。
 第3試合は今大会屈指の名勝負、横浜対大阪桐蔭。これも、私が3週間前に万博球場で見た大阪桐蔭。四番の2年生、中田は、怪物だ。そしてその前後を打つ主軸打者。投手力には課題があるが、横浜との勝負は面白いと思って見ていた。案の定の結果となり、私はテレビの前で、うーん、と納得のため息。
 風邪薬づけで、熱にうなされ、テレビの向こうの甲子園に堪能した日から、本日は現実の世界に戻されて、詰まった鼻を何度も何度もソフトなティッシュを使ってかみながら、過ごしました。

 パソコンが治ったし、風邪も治ったので、またがんばります。



2006.7.30(日) 西東京大会決勝戦

 
きょうは、神宮球場で西東京大会の決勝戦。早実vs日大三という好カードになった。天気は本日梅雨明け宣言で、野球観戦にはけっして楽ではない。夏の高校野球は、これぐらい当たり前で、むしろふさわしい暑さになった。

 直近3年連続夏の甲子園出場の日大三高。初回に2点先制し、なおも2死満塁のチャンスは逃したものの、既に立ち上がりを見ただけで、ワンサイドゲームの様相を呈していた。さすが日大三高の打撃が炸裂といったところだ。

 試合の経過に従って、私の注目は、早実の方にひきつけられた。早実のピッチャー斎藤は、度々のピンチにも動ぜず、あくまでもインコース攻めの投球で、落ち着いてアウトを取っていく。回が進んで終盤になっても球速は衰えず、148キロだった。もう一つの注目は、スタンドの応援団だ。早稲田大学と同じ応援スタイルは、実に小気味よく、多くのOBも一緒にこれほどまとまった応援をするのは、甲子園でもあまり見られない姿だ。10年ぶりの夏の甲子園出場をかけて、形成不利な中でも崩れない締ったチームだ。王監督の出身校でもある。早実は今年の春の甲子園に出た。

 どっちのチームも、伝統ある強豪で、どっちが甲子園に行ってもいいレベルだ。

 試合の序盤は3対1で日大三高がリード。日大三は、再三チャンスを作る。試合内容では日大三高のペース。日大三高の応援の人たちは、勝利を信じ、甲子園へ行く心の準備をはじめたことだろう。

 試合の中盤、早実の斎藤投手は、それまで毎回のピンチを凌いだ状態から一変し、3イニングス連続3者凡退に仕留める。両チームとも、守備の締った展開。ついに6回裏に3対3の同点となる。試合が延長戦になるまでの7〜9回は、早実ペースの試合になった。しかし両チームの好守備で点は入らない。

 延長10回、先攻の日大三高にようやく1点が入った。これで決まりか、という場面だ。そして後攻の早実は1死から連打で1点を返し、さらに延長11回裏、サヨナラ勝ちとなる。ここまでの間、何度も何度も両チームに好プレー。早実の斎藤投手は、一人で投げきり221球。3時間47分という、高校野球では珍しい長時間試合。この球場での決勝戦、外野席まで観客を入れたのは11年ぶりだという。

 野球の試合を、このような文章に書くのは難しい。ただ、私が野球場でナマで見た野球の試合の中で、これほどの高い緊張と、しかも勝負が紙一重の接戦を見たのは、私にとって初めてだったから、そのことだけを書いておきたい。どっちが勝ってもいい試合だった。甲子園で、早実の洗練された応援を見せてほしい。
神宮球場
2006.7.30 Sun.14;53


2006.7.8(土) 平塚

 
神奈川県平塚市は、昭和50年の春から54年9月まで住んだ街だ。そこに七夕祭りがあることは忘れもしないが、二十数年ぶりに、きょう行ってみた。6日から9日まで。大きな七夕飾りを商店などが張り合って出展する。一店一本の大きな飾りだ。コンクールもある。「特選」などの札を下げているところに人々の注目が集まり、皆カメラを構える。いまだに昔のままでやっているのには、やや疑問も沸くが、そこそこ人は来るので、やめられないイベントなのだろう。とにかく私にとっては、若い頃を思い出させてくれる、有意義な一日となった。

 朝は7時半に出発。錦糸町から途中乗り換えて東海道線で平塚へ。電車は昔と違って新しい。途中の駅に停まるごとに懐かしい。平塚駅の改札はもちろん新しい。当時は自動改札機が無い時代だった。しかし駅ビルは全く当時のままだ。駅ビル・ラスカというショッピング街の名前もそのまま。駅前のバスターミナルはきれいになったような気もするが、あまり変わっていないかもしれない。駅前のいくつかのビルは当時なかったものだろう。少しずつ街の中に歩を進めながら、思い出していく。都まんじゅうの店の場所も機械で焼いているのもそのまま。おりしも七夕祭りだから、道には出店が一杯で、本当の街の姿は隠れているのかもしれない。

 七夕飾りを見ながら行く。特選の常連、滝口カバン店が、やはり手のかかった大掛かりなものだが、必ずしもこれがきれいだとは言えない。費用をかけられない時代になってきたのだ。
 商店街には、随所に覚えのある店が。長崎屋の七夕展示は、昔に比べるとこじんまりしているが、動く恐竜の展示。平塚に勤務していた時代の会社の建物は移転したから無くなっていて、マンションが建っていた。近くの落花生の店「はだのや」が、その場所に無い。近所の畳屋さんに聞いたら、6月末で廃業したそうだ。それを聞いた私は愕然と落胆した。手遅れだったか。七夕でなくても、もう少し早く来たら良かった。ここの殻つき落花生は、焼き加減がどこにも無く、少し生に近い状態で、あの味が忘れられないのだ。もはや幻になってしまった。でも忘れられない。

 会社のすぐ裏にあった喫茶店「ボルボ」に行ってみた。古臭い店はそのまま残っている。この店が残っていることは社内の人から聞いていたが、こうして実際にその姿を見ると感激だ。おそるおそる中へ入ってみる。人相の悪い男性客が4人、離れた席に二人ずつ座り、席をはさんで大声で会話をしている。すっかり雰囲気の悪い客層の店になってしまったのか。店員は中年の女性と、カウンターの奥で洗い物をしている60代の女性。元はきれいだったこの店のママさんである。ホットコーヒー(350円)を注文する。しばらく店内の様子を静観していると、この客は、テキ屋さん達のようだ。朝の9時台、まだ仕事の準備中、いや若い者に仕事をさせている親方たちがここを根城にしているのだろう。小さい子を連れた若い夫婦が来て、定食を食べている。私は勘定を払うときに、ようやくママさんと会話をした。私のことを覚えてくれているわけではないが、昔話をして店を出た。

 当時、新婚だった私が住んでいた場所へ行ってみることにした。当時は自転車で通勤していたが、歩いては遠い。バスに乗る。祭りのために臨時のバス乗り場へ行く。ここのバスは全部神奈川中央交通、いわゆる神奈中バスだ。家の近くのバス停の名前など覚えていても、どうせ変わっているかもしれない。途中のバス停と車窓の景色を見れば、私が降りるべきところはわかる。バスを降りて、風景を確かめながら歩く。

 確かに、27年前に住んだ家はあった。木造平屋の小さな家だから、まさかまだあるとは思わなかったが、誰も住んでいる様子はなく、雨戸も閉まっていて、周りに塗料の缶やハシゴなどの資材がたくさんある。周囲の家は全く残っていない。私の住んだ家だけが原型のままで残っている。ここにまた感動する。玄関のドアも、台所の窓枠も、全然変わっていない。近所の酒屋さんは姿を消して、新しいアパートになっている。妻がそこの奥さんと今でも年賀状のやり取りをしているから、そのことは知っていた。富士スーパーが同じ場所にある。営業中だ。

 私は、秦野へ所用で行くために、その方面のバス停へ行った。狭い道は当時のまま。秦野までの道は、これもあまり変わっていない。

 平塚を出てから数年後に一度訪れたことがある。その時に比べ今回の平塚は、もう自分のものではなくなった。しかし、こういうことをしたくなるのは、年をとったせいなのだろうか。この状況を大阪にいる妻に実況中継して、結局買い物は何もせず、落花生が幻となって、再び過去のページは閉じられ、日常に戻った。