富士登山2005  2005.8.20 Sat.
                 
 
 今年も富士山に登る日がやってきた。前もって十分な計画を立てていたわけではない。仕事と天気予報を考えて、行くと決めたのは出発前日。そして、最終的には、出発当日の直前まで決めていなかった。というのは、金曜日の夜7時50分新宿発のバスで行くのが今回のルートだから、夕方6時前ぐらいに会社を出ることができるかどうかがポイントとなる。普段この時間に会社を出ることはないのだが、かなり、意を決して人よりも早く会社を出ることができた。こんなに気ままに決められるのも、一人だけの登山だからで、やや強行なスケジュールだから、人を誘うのもはばかるところだ。

 登山の用意は前夜にできている。錦糸町のアパートへ帰って着替えをし、30分前にはバスターミナルに着いた。地下のコンビニで巻き寿司といなりを買って店内のカウンターで食べる。食べるというより詰め込むといった状態。

 7時50分のバスは4台で満員のはずだが、私の隣の席は空席だった。10時すぎに五合目につくまでの2時間余りの時間がこの夜の唯一の睡眠時間。つまり、今回の富士登山は、徹夜で登る。

 中央高速は空いていて、河口湖からフジスバルラインを通って五合目に到着したのは、予定より早く10時だった。

新宿から乗って来たバス
8月19日22:03
五合目バス停の店22:19

 ここでは既に気温が10度ぐらいなので、セーターとフリースのジャケットを着る。風はほとんど無い。夜間の登山には最高の、満月で快晴、無風という好条件下を出発する。本来なら1時間以上休憩して、ここでも既に標高2300メートルで薄くなっている空気に慣れることが大切なのだが、夜だから寂しいし、ゆっくり歩けばいいかと思い、10時20分に、人よりも遅いペースで歩き出した。頼りは懐中電灯。電池の予備もあるが、小休止するときは節電をしながら大事に使う。登っていく人の流れが途絶えることは無いので心細いことはない。

 六合目の安全指導センターで、いつものビラをもらう。登山の注意事項と、裏には略図が載っている。折りたたんでポケットに入れる。
 出発からご来光の午前5時までは6時間以上もある。8合目ぐらいで拝むことができればいい、と大まかな計画を立て、歩幅は小さく、一歩ずつ歩みを進める。月明かりというものが、こんなに明るいものだったことをあらためて知った。ここは雲もなく、さえぎる空気もないので、満月の明かりは、まるで大型の投光機のようで、自分の影がくっきりと地面に映る。月明かりの当たる所は懐中電灯が要らない。七合目あたりまで風はなく、暑いぐらいだった。七合目の山小屋の人に聞いたら、現在の気温は7度。100メートル標高が上がるごとに0.6度気温が下がり、風速1メートルごとに体感温度が1度下がるという。案の定、七合目から上は風が吹き始めたので、ウインドブレーカーを着て、帽子も毛糸のに替える。雨の心配はなさそうだ。とにかく月が明るいので安心だ。少し歩いては立ち止まって休憩をする。リュックを降ろしたり、座ったりはしない。空気の薄さから、少し進んだだけで息が上がる。呼吸を整えるために小休止を繰り返すのだ。高山病にならないように気をつける。一度高山病になると、そこからは下山するまで治らない。頭がガンガンして気持ちが悪くなるのを我慢して登り続けることは不可能なので、その時点で終わってしまう。標高が低い段階でも安心できないのだ。特に私の経験では、年をとるごとに、弱くなっている。

 満月は山の向こう、西側に隠れた。
 星空が見えるのだが、きょうは、月の明るさに負けて、見える星が少ない。若いカップルの女性が「オリオンが見える」というと、男性が「オリオンは冬しか見えない。オリオンが夏には姿を隠すという伝説がある」といって、なかなか高度な言い合いになっている。私が「あれはオリオンですよ」と言うと二人は納得した。オリオン座は夏には低い位置になるので、こういう場所でしか見えないことになることも教えてあげた。ついでに私は二人へのプレゼントに、「すばる」の場所を教えた。

 ご来光は5時過ぎだが、1時間まえぐらいから少しずつ東の空がオレンジ色になり、その上が青い空に変わっていく。

 そして、8合目を過ぎた頃、5時になり、私は腰をおろしてカメラを構えた。ご来光の写真を撮ること約70枚。今のカメラで初めてのご来光なので、こういう時の撮り方がよくわからず、でまかせに撮ったので、あまり良くは撮れていない。しかし、自分が見たご来光が写真に残るんだから、なんとなく納得する。ここまで来ないと見られないのだから。
 富士山の八合目ぐらいになると、標高3300メートルだから、低い雲の上に立つことになる。つまり、曇っていても日の出が見られるということだ。太陽は雲の間からオレンジ色で顔を出し、やがてまともに見られないほどの明るい太陽になって空に君臨する。

日の出前の空4:26 雲海も見える4:46 八合目白雲荘4:49 ご来光5:03 5:05
5:06 5:09

 私が富士山に来てみたくなるのは、日本一高い山だからということに加え、夏でも寒いほどの涼しさ、澄んだ空気、下界では見られない火山岩の瓦礫、ご来光、星空、眼下に広がる雲海、全てが日常生活では見られない異次元の世界への脱出なのだ。
 大阪以西に住む人にとっては、遠い世界だ。北海道からだって、写真やテレビでしか見たことが無い富士山、その山に登ることが、こんなに身近にできるのは、東京に住む人の特権だ。この特権を今年も生かして登る富士山。ここへ来るたびに、だんだん辛くなる。高い山に順応するのは年齢を重ねるごとにきつくなる。それでも短時間で登ろうとするのは無謀だと思いつつも、やはり来てしまう。昨年も登った後は、もう今度は登れないと思ったものだ。

 雲海が当たり前のように下に見える。雲は常に動いている。
 
 ご来光が済むと、下山道は降りる人でラッシュとなる。

 河口湖が、夜の間も街灯りでくっきりと見えたが、朝になるとだんだん上から見下ろし、そして遠くなる。山中湖が正面に見える。山中湖にはよく雲がかかる。やがて相模湾が見渡せるようになる。
 上空を飛行機が飛ぶ。東京から大阪へ向かう飛行機から富士山が見えるのだから、あの飛行機の乗客もきっとこっちを見ているに違いない。

 本八合目の小屋でラーメンを食べた。値段は少々高くても、山でこの温かい汁物は貴重だ。

 睡魔が襲ってくる。天気は良いし寒くもないので、休憩のついでに道の脇で仮眠をとる。約20分眠っただけでずいぶん楽になった。

 頂上に着いたのは午前9時6分。天気は快晴。剣が峰も噴火口も良く見える。ここで、はしゃいではいけない。高山病寸前なのだ。噴火口の際まで行ってみる。色々写真も撮ってみるが、結局、人が一緒に写る写真でなければスケール感がわからない。遠慮なく人物を入れて撮影をする。

雲海の美しさ5:27 本八合目富士山ホテル6:22 6:29 6:34 下山道のラッシュ6:40
太平洋7:33 山中湖7:33 河口湖7:33 雲海の迫力8:32 もうすぐ頂上の
胸突き八丁
8:52
頂上が見える8:49 頂上9:06 剣が峰と噴火口9:12 頂上にて9:19 噴火口の断崖絶壁9:32
 登頂から1時間後、10時過ぎに下山の途に着いた。

 気をつけていたにもかかわらず、下山の途中で高山病になった。ゆっくり歩いているのだが、どうしても下りなので、足が動いてしまう。息が上がり、頭痛がして、食べ物も飲み物も要らなくなる。スポーツドリンクすら気持ち悪く感じる。それでも降りなければ帰ることができないから、休みながらも下山を続ける。途中で一度20分ほど仮眠をした。かなり下っても高山病が治らない。
 七合目でついにバファリンを飲んだ。これで高山病が治るわけではないのだが、頭痛の対症療法にはなる。そこから1時間半で五合目に着く、というのが標準的な時間だが、この状態では、と心配になる。しかし、頭痛はどんどん良くなり、気持ちがいい。

 午後2時半すぎ、六合目の安全指導センターあたりに着くと、次々と登ってくる団体に遭遇する。この人たちは8合目あたりで泊まって、明日朝頂上に向かうのだろう。これだけの団体だから体調にも個人差があるので、さぞかし統率が難しいと思う。最近は携帯電話が使えるので連絡を取り合うことができる。但し、私のツーカーは富士山では使えない。五合目までが圏内なのだ。富士山の登山道のどこでも使えるドコモがうらやましく思えるのはここのときだ。

 あと少しで五合目につくという最後の20分ぐらい、いつもここが最も辛いのだが、上り坂になる。体力の限界に近づくこのときに登るのは辛い。しかしゴールは見えている。

 午後3時15分に到着。実はバスが4時発なので、結構ギリギリだった。これに遅れると帰路は、かなり遠回りになり、帰宅が夜遅くなるのは必須だ。睡眠不足なので、もうすでにかなり眠い。

 バスは、午後4時に出て、新宿到着は7時頃になった。途中、中央道の渋滞で定時よりも遅れたが、やはり直通バスは早い。新宿駅でそばを食べ、錦糸町のアパートに帰ったのは8時前。何もせずに眠りについたのが8時半。翌朝の7時半に目覚めるまで11時間の睡眠。こんなに長時間眠ったのは生涯初めてかもしれない。

 五合目から登り、登頂まで約11時間。頂上滞在1時間。下山5時間。合計17時間の富士登山だった。
 新宿から計算すると、午後8時に立って、翌日午後7時に帰る、約23時間の旅となった。

 富士山で飲み干したお茶のペットボトルが、自宅で荷物を片付けていると、ペチャンコになっていた。
五合目から見る富士山20日 15:43 空のペットボトル