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最近思うこと(日記・エッセイ)
2005年1月1日-3月31日
2005.3.22(火) 福岡の地震 

 
福岡の地震は、私にとってただの地震のニュースではない。私が3年間勤務した福岡で起こったことなので、なじみのある場所であり、そして多くの知り合いが被災した。
 福岡で地震など想像もしなかった。どこの人たちも、地震はいつ来てもおかしくないと思う一方で、自分のところにはおそらく来ないだろうと思っている。そしてそれは理にかなっている。確率的に、被害を受けるほどの地震に遭遇することは、ほとんどの人が生涯に一度もないのだ。

 このHPをいつもご覧いただいている方々の中にも、今回被災された方が多い。命が無事だった分だけ幸運だと思って頑張って欲しい。

 福ビル(福岡ビル)のガラスが割れたところがニュースで報道されていた。微妙な時間帯だった。普段は人通りの多い所のはずだが、日曜日の午前中だったから、けが人もなかったのだろう。あのビルは、私も、歯医者や本屋、文具、CDショップ、など、よく利用した。
 福岡を離れてから4年。その間、一度も福岡に行くことがなかった。こんな地震を機会に、というのも何だが、福岡への郷愁のようなものを感じるここ2−3日である。


2005.3.19(土) 春が来た 

 
暖かい3連休。初日のきょうは、春の陽気に促されて、浜離宮恩賜庭園に行った。昨夜、送別会で近くの汐留シオサイトに行ったので、そろそろ菜の花が満開か、と気になり、ネットで調べてから出かけた。
 昨年に比べて、菜の花の作柄が良くないが、その代わり、菜の花と梅の満開が一致したので、取り合わせが美しい。この調子なら、桜と菜の花の競演も見られそうだ。桜と菜の花と言えば「権現堂桜堤」が今年も楽しみだ。ただ、桜と菜の花の見頃と私の週末の都合がうまく合うかどうか。そういう難しさがあるから、毎年見に行く価値があるのだ。4月の昭和記念公園のチューリップも見逃せない。

 今夜は、フィギュアスケート世界選手権の女子最終日。日本の選手が3人も上位にいるなどということは、一昔前には想像もつかないことだった。但し、優勝は簡単ではない。さすが世界の桧舞台。最高の演技をして、他の選手が少しだけミスをすれば、優勝する、という可能性を持つ選手は何人かいるのだ。安藤の4回転ジャンプは、果たして成功するか。


2005.3.15(火) 向かいのマルエツが24時間営業に 

 
徒歩数分の圏内に4つのスーパーマーケットがあるのだが、そのうち最も近い、このアパートの向かいにある「マルエツ」が、4月19日から24時間営業になるらしい。大店法に基づく説明会の告知チラシが入ってきた。錦糸町駅前のLIVINが既に24時間営業になっている。マルエツは現在、夜10時までの営業で、それはそれで私には十分なのだが、唯一の不満は、閉店前の時間にパンや牛乳の品切れが起こることだった。夜通しの営業となれば、そういうこともなくなるのではないかと期待したい。
 一方で、深夜でも車や人の通行が多くなり、安眠妨害されることも考えられる。

 商売の多様化が進み、この店が生き延びる道は、こういうことなのだろうが、このサービス競争と併せて、ぜひ良い品ぞろえも願いたいものだ。
 錦糸町の生活は、本当に便利だ。


2005.3.13(日) 「オペラ座の怪人」二度目の鑑賞 

 
「オペラ座の怪人」の映画を観た。公開初日に観て以来、二度目になる。公開中に、同じ映画を二度観るのは、過去に経験がない。

 この映画を最初に見たときには、衝撃の連続だった。今回は、その衝撃のシーンを確認するように、じっくりと鑑賞した。はじめのうちは平静だった。そうか、二度目だから感激が薄いのか、と思った。すると、廃墟のオペラ座でのオークションのシーンから、シャンデリアが甦るところで、あの音楽が鳴り出し、もう完全にのみ込まれてしまった。クリスティーヌが急きょ主役になって喝采を受ける曲「Think of me」のシーンでは、オペラ座の満場の観客のスタンディング・オーベーション。私も立って拍手をしたくなった。ニューヨークの映画館ならきっと観客は反応しているはずだ。
 最後まで息をつく間もなく、結局一度目と同じ、いや、二度目になって、より一層重みを感じる映画だった。やはりみんな歌がうまい。役柄もいい。CGを使った多くの場面が、さらに迫力を増している。あのシャンデリアが落下するシーンは、最高のシーンだ。ビデオだったら何度も巻き戻して見たいところだ。
 
 また機会があれば見たい映画である。


2005.3.13(日) 昨年のきょう 

 
まだまだ春が来ない。昨年は桜も早く咲いたが、今年はまだまだつぼみが堅い。
 昨年の3月13日に、春うららかな東京の花の景色が写真に収まっているのが奇妙だ。

  
錦糸町のアンズの花2004.3.13
  浜離宮の菜の花
2004.3.13
  
お台場の梅と菜の花2004.3.13


 きょう現在、アンズの花は全く堅いつぼみ。浜離宮はHPによると5分咲き。今年の花は全て半月ぐらい遅れているのだろうか。


2005.3.12(土) 携帯電話の充電器 

 
携帯電話はほとんど使わない私だが、それでも電池が切れると、本当に困ることがある。たまに大阪へ行くと、そういうときに限って電池が心配になる。
 それに対する対応策は、充電器をもうひとつ買うこと。それが、うまく解決し、大阪の自宅に1個置いてある。広島に住む三男も帰ってきたときには使える。

 その充電器は、100円ショップのダイソーで見つけたのです。パソコンのUSBキーに差し込むだけの簡単なものだが、それで充分。充電時間も問題ない。

 1フロア面積日本一の百円ショップ「ダイソー錦糸町店」が会社の直ぐ隣にあるのが、なにかと便利で、ハッピーなのだ。


2005.3.6(日) 万博35周年 

 
あの大阪万博から35年。1970年の3月15日に開幕したEXPO’70は、ちょうど私が大阪に就職した時でもあって、それから35年が経ったかと思うと、感慨ひとしおである。もう35年も経ったのだから、年もとるはずだ。
 今年の愛・地球博も見に行きたいと思っている。

 万国博覧会というものが、どういう意義を持つものなのか。35年前の万博は、技術の進歩のきっかけとなった一方で、「調和」がテーマだった。今年の万博は、自然・環境が中心のように思う。どちらも、世界中の人々が集まる、オリンピックと同じようなイベントなので、世界の人とフレンドリーに接することが出来る機会。グローバル化が進み、外国の人が珍しい時代ではないが、万博はきっと雰囲気が違う。今年は、世界の人の写真をたくさん撮りたい。


2005.3.5(土) ICテレホンカード 

 
目新しいものではない。「ICテレホンカード」は、専用の公衆電話で使える最も新しいタイプのテレカだが、今の世の中、携帯電話に主役を奪われ、目立たない存在になっている。
 先日、かなり以前から手帳にはさんであったICテレカを使う場面があった。すると、37度数の残が表示された後、電話番号をプッシュし終わると、「有効期間切れ」のメッセージがディスプレイに表示された。そんなバカなことがあるのか、と疑問を持ちながらも、やむなく他の普通のテレカの公衆電話に移った。あとで、裏面を見ると「有効期限2004年9月30日」と印刷されている。さらに、細かい解説を読むと、5年間NTTの窓口で取り替えるとのこと。手数料と使った度数分の追加払いが必要だそうだ。そんならもういいか、と諦めてしまう。


2005.2.26(土) 明日は「国技館5千人の第九」

 
本番前日のきょう、この日に初めて5千人の合唱団とオーケストラが練習をする。きょうの練習には来られない人もあるので、空席がポツポツとある。日頃の練習をほとんどサボっているので、声がちゃんと出ない。今年の指揮者は本場のドイツ人だ。難しい指揮者かと思いきや、意外にあっけらかんとしていて、要は元気に歌えばよいようだ。
 指揮者によって曲の感じが変わるものだということを考えさせられる。途中、スローテンポのところがあるかと思えば、最後のところは、ドイツ語の歌詞の口が回らないぐらい速い。そして、大きな会場なので、音の時差が生じるから、全体の音を聞いていたのでは遅れてしまう。とにかく、指揮者に合わせるのみ。第九のテンポは小節ごとに変わるといっても良いほど変化が激しい。楽譜に書いてあるだけでもそうだから、指揮者がさらに思う存分にテンポを変えてしまうので、指揮を見ていなかったら大変なことになる。
 きょうの練習には、第九初出場、同郷のyuppeも来ていた。明日はいよいよ本番。練習の出席カードに二つしか○がない私も一人前に本番。周りで聞いたら、練習回数の少ない人も多いようだ。大阪の一万人の第九のように、練習を何回以上欠席すると出場資格を失う、というルールにした方が、もっと真面目にやるかもしれない。そうなると私は出場できなくなるか。
 

2005.2.17(木) 中部国際空港

 
きょう開港したのが中部国際空港。名鉄で空港まで直通だそうで、駅のホームから段差なしのスロープで出発ロビーだとか。電車から荷物を引っ張ってそのまま出発ということ。到着ロビーも段差なしで駅のホームにつながっている。私は妙なところに興味を持つ。出発ロビーと到着ロビーは階が違うのに、どちらも駅のホームと段差なしでつながっているのは、要するに、ゆるいスロープになっているということだ。
 
 数年前に香港へ行ったとき、そこの新空港は、もう少し違う。駅のホームからそのフロアを進むと、そのまま出発ロビー。スロープも段差もない。そして、到着ロビーも同じく段差もスロープもなしに駅のホームと同フロアだ。さらに面白いことに、出発ロビーと到着ロビーの階は違うのだ。このトリッキーな仕組がわかるまでに、私は香港の滞在中の時間を費やした。この謎を解くには、香港へ行ってみるしかない。帰りに空港の駅で考えて、ようやく判った。

 今一度足取りをたどると判る。
 香港に着陸し飛行機を降りて、荷物を受け取り、到着ロビーに出ると、その同じ階がそのまま駅のホームで、電車に乗れる。帰りには電車を降りると、そのままその階が出発ロビー。フロアの案内図を見ると、出発ロビーと到着ロビーは別の階だ。
 駅で電車をよく見ると、到着ロビー階の電車は、この駅から出発する始発電車。そして当たり前だが、出発ロビー階の駅には、この空港駅に到着する電車が止まる。そしてその電車は、折返し運転とはならず、一旦車庫に入る。そこがミソだ。一旦車庫に入った電車は、折返し運転のために、フロアの違う階のホームへ移って行く。

 段差のない構造と言うのは、本当に気持ちのよいものだった。バリアフリーの最先端だ。


2005.2.16(水) 地震

 
今朝4時46分の地震は、東京の私のアパートでも震度3ぐらいだったと思う。普段なら目覚めるはずもない時間だが、私はとっさに飛び起きた。しばしの揺れはあっても、被害が出るほどのことはない。かといって、そのまままた寝るわけには行かない。NHKのテレビとインターネットで気象庁の地震情報をチェックする。
 津波を身近に経験したことはないので、地震があったら直ぐに高い場所へ避難するような必要はない。従って、揺れが収まったらまた眠れば良いのだが、私にはどうしても地震情報を見ておかないと眠られない訳がある。
 10年前の阪神大震災のとき、大阪の吹田市でもかなり激しい揺れだった。問題は、自分のいる場所の状況だけではなく、そのときの結果が神戸の大災害であったように、要はこの地震が、自分のところが最大の揺れなのか、それとももっと大きな揺れで被害の出ているところがどこでどの程度なのかを確認しないと、眠るわけにはいかない。
 大事に至らなかったきょうの地震だが、その安心は、気象庁のHPからもたらされる。地震から5分後に自動的にアップする気象庁の地震情報は、とても信頼性が高い。

 関東に大地震が来る予兆か、みんな心配をするのだが、私が最も楽観主義者かもしれない。対策は何もしない。しかし、関東に地震は必ずやってくる。予言者ではないので、何も見通すことは出来ないが、何かそれを予感させるきょうの地震だったことは、言えるような気がする。


2005.1.29(土) 見ました、映画「オペラ座の怪人」

 
こんなに心を躍らせて映画を見に行ったことはなかった。始まる前からワクワクだった。
 ストーリーも音楽も、すっかり体にしみこんでいるから、ミュージカルの舞台を久しぶりにまた観ているようなものでもある。しかし、役者は最高の歌手を用い、そこから聴こえる歌のレベルには感服する。歌唱力は、ロンドンやニューヨークで見た舞台の時よりもさらに優れている。それはそうだ。映画だから、全てに最高のものを集めて作られている。ヒロインのクリスティーヌには18歳のオペラ歌手。劇団四季で18歳の主役はあり得ない。演奏は全てフルオーケストラ、映像はCGも多用したスペクタクル。「フィガロの結婚」などのオペラのシーンもダイナミックに見せてくれる。

 舞台のミュージカルを観た人だけがこの映画の良さを感じられるのだと思う。ミュージカルにはなかった新たな曲も使われている。ストーリーも少していねいに細かくなっている。息をつく暇もなく、ボトルのお茶を飲むことも忘れ、2時間23分が終わった。エンディングの字幕と音楽の時間になってから、つまり全てのストーリーが終わってから、ジワーッと、無力感と、感動の涙が滲んできた。ストーリーは決まっているので、驚きはない。しかし、予想通り、次々と休みなく繰り出される音楽が私の体内を循環する。

 この映画の評価は、見る人次第。私には、思い出に残る名作と位置づけよう。従って、チケットコレクションに載せておくことにする。


2005.1.28(金) 映画「オペラ座の怪人」


 
明日29日に始まる映画「オペラ座の怪人」は、アンドリュー・ロイドーウェーバー作のミュージカルを映画化したもの。同じ題名の映画は、これまでにもいくつかあったが、世界中でヒットしたミュージカルそのままなのが今回の映画。

 ニューヨークのブロードウェイで見た「コーラスライン」が映画化されたとき、私は胸が踊った。さすが映画では、役者も舞台も衣装も、また歌も踊りも、最高の出来になっていた。ビデオで何十回も見たので、その頃まだ小さかった子供たちの体にもしみこんだと思う。サントラ盤のCDもよく聴いている。

 私は、ミュージカル「オペラ座の怪人」を10回以上見ている。そのうち一度はニューヨークで、また一度はロンドンで。劇団四季のは何度も見たわけだが、オーケストラの生演奏の時もあった。今度の東京公演は生演奏だと思うので、それがまた、いい味を出すと思う。
 何度も見たミュージカルが映画になると、きっとそれは集大成のようなものになると思う。この映画の公開とミュージカルの再演が前後する。どっちもいいものになると思う。
 もしこの映画が、ミュージカルの演目でなく、いきなり映画として登場したら、それはきっとつまらない。

 公開初日の明日は、錦糸町シネマ8の朝一番に並んで見ることにしている。今週は忙しかったので、明日は少しだけ遊ぶ日にして、リフレッシュする。


2005.1.23(日) 第九の練習


 
「国技館5千人の第九」まであと1か月余り。きょう3回目の練習に行ってきた。出席のスタンプを押す欄が20個もあるのに、まだ3回目。おそらくあと1回ぐらいの練習で、あとは前日と当日のオケ合わせ、ゲネプロ(総合リハーサル)で、本番になる。
 第九は5回目だから大体大丈夫なのだが、日頃歌っていないので、声が思うように出ない。きょうの練習でも、高音の部分は大変苦しい。ベートーベンの第九は、交響曲でありながら合唱を用いていて、それを楽器のように酷使する。テノールならともかく、バスなのに高い音がある。
 
 きょうの練習場所は東向島。初めて行った場所だ。やはり年配者が多い。音程を取るのが難しい部分では、どうしても音程が外れる人がいる。私も同様に難しい部分なので慎重に歌っていると、隣の年配者が平気で外れた声を出す。こっちもわからなくなる。先生のアドバイス「わからない方は人のを聴いてから声を出してください」。2時間の練習は結構な運動だ。朝から体がほぐれて、健康になったような気がする。

 帰りは電車に乗らず、錦糸町までウォーキングをした。寒い日だが、風がない分だけ楽だ。

 午後3時過ぎ、東京の錦糸町にも雪が舞った。まだまだ寒い冬は終わらない。

 昨日、新宿御苑では、水仙が既に盛りを過ぎ、カンザクラが満開、梅も1本咲き始めていた。他に花は、大温室の中を除けばほとんどない今の時期だが、立派な桜の木々が、虎視眈々と開花の時期を待っている。黒くて太い古木のパワーが漲る。梅の季節まで1か月、桜開花まで2ヶ月。


2005.1.19(水) 大阪でも「天国の階段」


 
大阪でも「天国の階段」が始まった。先週の土曜日が第2話だったようで、東京から2ヶ月遅れぐらいで放送されることになる。実はこの韓流ドラマを私は見ている。展開が面白いのと、いじめられるチェ・ジゥが闘う姿がいい。同じ土曜日に「美しき日々」も見て、ストーリーが混然としてしまうところがまたおかしい。

 キャッシュカードのデータをスキミングされて預金を下ろされる事件がニュースを賑わす。暗証番号も盗み見されるかどうかがポイントだ。私は、暗証番号に誕生日のようなものは使っていないし、全く私にしかわからない数字にしている。その数字は、どこかにメモしているわけでもない。キャッシュカード以外のいろんなことに使うパスワードは、また全く別の数字にしている。これで対策は完璧かどうか。
 最も完璧な対策は、預金残高をなくすること。この対策は自然に出来ている。お金持ちの方は気をつけて。


2005.1.13(木) 阪神大震災から10年


 
テレビで震災10年をテーマにした番組が多く見られる。

 1995年1月17日、連休明けの日の朝、5時46分。大阪の吹田市の社宅にいた私は、その地震の瞬間に飛び起き、家族が寝ている上に倒れるかもしれない箪笥を手で押さえていた。私にとっても生まれて初めての激震だったから、これは大変なことだと思い、テレビをつけても、ほとんどまだ地震の情報が出ていない。電車が動くはずはないと思い、すぐに車に乗って会社へ向かった。長時間の渋滞を経て、9時過ぎに淀屋橋の会社に到着。
 この日から、私の会社生活は一変した。会社の営業体制、事務体制の復興、お客様対応などに携わる。思い起こすいくつかのシーンがある。

 阪急・西宮北口駅から歩いていくときもあった。神戸・三宮への通勤は、鉄道が不通になっている間、随分かかった。住吉から灘への連絡バスは、毎日朝夕の楽しみにもなった。全国から応援に来ているバスは、路線バスもあれば、デラックスな観光バスもある。次々と発車していくバスの当たり外れが面白い。

 西宮から神戸へミニバイクで行ったときは、道路がガレキであふれていて、渋滞する大型車の横をすり抜ける命がけの走行だった。ポートアイランドの液状化現象でどろどろの路面をバイクで走った。

 粉塵で声が出なくなった。

 長田区の廃墟を見たとき、それから二日間は夜も眠れなかった。焼死した多くの人たちが私に助けを求めてついて来たようだった。

 倒壊した家の下敷きになったまま、その後に起きた火災で亡くなった人が多い。長時間の生き埋めの末助かった人も多い。その人たちに聞いた話だが、最も障害になったのはヘリコプターの音だったということだ。ひっきりなしに上空を飛ぶ報道ヘリの音が、ガレキの下で必死に助けを求める人の叫び声をかき消したのだ。そういうことはマスコミのニュースでは言われない。

 仮設住宅の老人宅訪問のボランティア活動に、会社の人たちと月1回参加した。仮設住宅から市営住宅への引越しの手伝いもした。

 仕事は、復興から引き続き神戸での仕事になり、3年間神戸でがんばった。元旦以外は正月も休めなかったこともあった。毎日夜帰宅するのが1時前後だったが、人並みに休みたいという気持ちは特に起きなかった。

 オリックス・ブルーウェーブが、震災の年に初優勝した。奇跡だ。市民の気持ちが優勝させたのだ。
 
 神戸にはパン屋が多くて、パンが美味しかった。イスズベーカリーの山食とガーリックフランスパン。
 西村コーヒー店のコーヒーとトーストがうまい。

 震災の日からもうすぐ10年。私にとってのこの10年は、その前の10年と同じぐらいに中身の詰まった10年だった。


2005.1.12(水) 無料の電話


 
ヤフーBBのIP電話「BBフォン」が、もう2年も前から不調で、雑音が入るので、原因不明のまま使わずにいた。その後周囲の環境が変わるなどで雑音が解消されることもありはしないかと、念のためにもう一度つないでみたがやはりダメだった。そこで、BBフォンのサポートが年中無休で対応しているのを見て、また電話をしてみた。あれこれと話し合っているうちに、電話線の接続に使うスプリッターを外してつなぎかえたら、見事に雑音が消えて全く正常になった。この2年間は何だったのかと思うが、とにもかくにも、うまく行って、今回の正月休みの最大の収穫になった。

 さて、大阪の自宅と東京の単身赴任先のアパートは、それぞれにヤフーBBなので、BBフォンで電話をするとどちらも安いIP電話になる。BBフォン同士の場合は通話が無料になる。つまり、大阪と東京の電話が無料でかけられるようになったのだ。
 
 さてさて、それで、予想通り、生活に変化をきたしたのである。
 妻と電話で話す回数が多くなり、話す時間も長くなった。何しろ、何度かけても何時間話しても無料なのだから。電話にコストがかからないことが果たして良いことなのだろうかと考えてしまう。

 1979年、アトランタのコカコーラ本社の会議室前のロビー。休憩時間に、そこにあった自販機は、もちろんコカコーラの製品。ただし、この自販機は普通の自販機ではなかった。お金を入れなくても、ボタンを押すだけで缶入りの飲み物が出た。コカコーラの本社だから、これぐらいのサービスは当然かもしれない。しかし、私はこのときに一生忘れ得ない衝撃を感じたのである。お金という労働の対価なしに、飲み物がいくらでも手に入る。働かずして物が手に入る。これは人間社会の法則に反する。私はタダで出てくる缶コーラに満足しながらも、ゾクっとするような怖いものを感じた。

 それと全く同じではないが、無制限にかけられる電話というものが、生活を変えてしまっている。時間と言う別の資源を浪費している面がある一方、単身赴任で遠くなっていた家族との対話が増えた。どっちが良いのか、結論はないが、今のところ、電話代が安くなったのは良いことだと喜ぶことにする。


2005.1.3(月) のぞみ号の自由席


 
正月休みもきょうで終わる。今年は曜日の関係で4日間だったが、ほとんど何もしない正月休みだから充分な休養になった。最終日のきょうは、東京へ帰る新幹線も飛行機も取れていなかったので、とにかく自由席しかないことになり、どの時間帯が良いか検討した結果、夕方5時半に自宅を出ることにした。朝早くに出発するのがベストだが、それもあわただしい。
 千里丘の駅から新大阪までは10分。そこで新大阪始発の列車をチェックし、ホームへ行ってみると、なんと、かなり先の発車時刻のところも長蛇の列だ。その列に並んでも、果たして座れるのかどうか疑問だ。ならば、と私はすぐに発車する列車の満員の自由席に乗り込んだ。車内は立錐の余地もなく、デッキに立った私は、ひたすら、そこに座り込むチャンスをうかがった。
 名古屋からようやくデッキの床に座るという、その状況下では最高の場をかち取り、弁当を食べて、忍耐と幸福の時間を過ごしたのです。

 「のぞみ」中心のダイヤになったのは平成15年の10月。それ以降に自由席に乗るのは実は初めてだった。「ひかり」の時代は、もっとゆったりしていた。新大阪始発の列車が多く、自由席がとても便利なものだった。しかし、今は、新大阪始発も減り、「のぞみ」の自由席は1−3号車だけなので、絶対的に自由席が足りない。少し買うのが遅かっただけでで、自由席の客は人間扱いを受けられない。

 私は、これを前向きに考えたらどうだろう、と思った。たかが2時間半のこと、これを我慢したら、あすはきっと良いことがある、と思えば、楽しい2時間半だった。


2005.1.1(元旦) 新しい年


 2005年は、万博から35年。その年に社会人となった私も入社35年を迎える。
 阪神大震災から10年を迎える年でもある。
 
 新年にあたり決意を新たにすることは、年とともに衰えてくる体力と気力の回復である。どちらも、決意をしても簡単には戻らないはずなので、何か具体的な目標を立てて、行動をしなければいけない。では何をするか。それが今浮かばないところがやはり年なのだ。これから考えることにする。
 今年はこんな年だったと、後で言えるような明るい事がある年にしたい。