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最近思うこと(日記・エッセイ)
2004年9月1日-12月31日
2004.12.29(水) 東京に初雪

 
寒い日が続いていた。今朝は雨の道路を車が走る「シャー」という音を聞きながら目が覚めた。久しぶりに傘を差して出勤し、午前中に丸の内へ向かう頃に雨は雪へと変わった。日中降り続いた雪も、ここでは積もるわけでもなく消えていく。東京の初雪は、はかない。北国に生まれ育った私は、冬に雪を見るとワクワクする。雪のある生活は決して楽しいものではないのだが、やはり冬に雪を見ないと、私の体内リズムがおかしくなる。
 雪を見て、ひそかに子供みたいに心がはしゃいでしまった私でした。


2004.12.26(日) 最終日の結果は

 
日本の女子フィギュアスケートのレベルが高いと言えるのは、次の世代が台頭してくることからだ。荒川が足の故障でフリーを棄権すると、主役は村主かと思いきや、17歳(高2)の安藤が逆転優勝、2位には14歳(中2)の浅田真央。村主は3位になった。フリーは得点を稼ぐために高難度の技を入れるのでジャンプの失敗も多くなるものだが、浅田真央に関しては、ほとんど失敗がない。あの伊藤みどりがようやく成功させたトリプルアクセル(3回転半)を、きょうも難なく決めて、次々と飛ぶジャンプは安心して見ていられる。全日本チャンピオンが17歳で、2位が14歳。これからますます日本が強くなるはずだ。2006年のトリノオリンピックに、浅田真央は年齢制限で出られない。日本の代表選考は熾烈を極める。今度の世界選手権は3人だが、きょうの結果をもって内定したのは荒川と安藤の二人。あと一人の争いは厳しい。
 

2004.12.25(土) 全日本フィギュアスケート選手権

 
きょうの話題はかなりマニアックになってしまうかもしれない。

 今年の全日本フィギュアスケート選手権大会は、チケットの入手が大変で、結局、当日券を求めて、きょうの試合開始3時間前から並んだ。
 チケットの発売日には、「ちけっとぴあ」に並んで、発売の5分後だったが完売だった。あとは当日券しかないと思っていた。ヤフオクに出ているチケットは、なんと、5千円のS席が2枚で8万円を超える額で落札されている。これは大変なプラチナチケットなのだ。昨年は長野ビッグハットで無料、一昨年は京都アクアリーナで2千円台の安い入場料、いずれも予約なんかなしに入場できたのに。

 大会第2日のきょうは、女子のショートプログラム。午後1時に始まるので、当日券のためには遅くても3時間前の10時までには行かなくてはと思い、早朝から出かける。場所は新横浜プリンスホテル・スケートセンター。新横浜の駅を降りるのも初めて。並ぶところは日の当たらない建物の陰。
 当日券は3000円、3階席の指定席だ。こうしてチケットをゲットした達成感に浸る間もなく、昼食を摂り、いざ入場するや、3階の席に荷物を置いて、その席には何のこだわりもなく、私は立ち見の場所を捜した。2階の通路は、まさにS席の後ろの場所。それよりも、さらに良い場所へ移動する。そこで手すりにつかまって立って見ること4時間半。

 昨シーズンの世界選手権覇者、荒川静香は、NHK杯で靴が壊れて急遽片方だけ古い靴を履いて優勝したのだが、その後新しい靴がうまくいっていないようで、靴ずれが治らないまま、精彩を欠いて2位に終わった直近モスクワのグランプリファイナル。今朝の新聞では「欠場か?」とまで書かれていた。今大会が今度の世界選手権の代表選考にもなるから、荒川と言えどもこの大会を欠場すると出られなくなるかもしれない。どうやらきょうも出場した荒川だが、果たしてどんな演技になるか、ハラハラだった。しかし、そんな心配をよそに、ノーミスで芸術性も十分。「蝶々夫人」のメロディーが最高に盛り上げる。私の目にも感動の涙がつい出てしまうのだ。観客のスタンディングオーベーションが見られた。きょうの結果は1位だが、明日のフリーは欠場らしい。やはり足の状態が良くないのか。初日1位の選手が2日目棄権とは、大波乱をよぶことに。それでも、初日だけでも演技を見せてくれたことに感謝したい。

 昨年、4回転ジャンプを決めて優勝した安藤美姫。昨年のそのシーンは、今も私の目に焼きついている。私の至近距離で、世界の女子唯一の4回転ジャンプだ。その後、4回転を試合本番で成功させる確率がなかなか上がらず、最近は使わない。明日のフリーで挑戦するのかどうか。ただ、それを使わなくても充分に点が取れるようにこの1年で成長したので、もうすでに安定感抜群の選手になっている。きょうは練習のときの切れ味が本番では無くなり、その分得点が伸びず3位。しかし、常に上位に入る実力者になっている。

 村主章枝(すぐりふみえ)は、昨年のグランプリファイナルの優勝者。この全日本選手権は、昨年安藤に優勝をさらわれる前の2年間連覇している。雪辱に燃える村主というところか。きょうの演技は、終始観客の手拍子を取る盛り上がりで、まさに見せる演技をやってのけた。荒川といい勝負だったが2位。王者復活の予感。

 ジュニアグランプリで世界一の浅田真央が2年前に初めて見たときから、見る見る成長して行くのを感じる。なんと、きょうは4位。自分の競技が終わった後、リンクサイドでコーチと話しながら観戦しているしぐさは、まだまだ子供だが、でも2年前からは随分大人になった。

 本日のショートプログラムの結果順位は、
 @荒川静香 A村主章枝 B安藤美姫 C浅田真央 D恩田美栄 E澤田亜紀 以下省略
 出場選手は31名だった。もちろんここに出場するには選考があるので、そこそこの実力者が出るのだが、上位と下位の差は大きい。特に今の採点方式になってからは、得点のメリハリが出るようになっている。ちなみに1位の荒川67.68、31位の選手は26.22。フリーはもっと点が付くので、1位から6位まではどう変わるかわからない。

 私が大好きな太田由希奈は、故障で欠場なので、私としてはちょっと残念な大会だ。あの美しいスケーティング、芸術的なレイバックスピン、そして音楽が最高に良いので、私は必ず涙で感動してしまうのだが、楽しみはまた来年に取っておこう。

 女子が終わったあと、男子のフリーがあるが、それを全部見ると夜の10時を過ぎるので、所詮男子には興味が無いし、私は会場を後にした。すると、荒川静香が、白い毛皮のコートと、手にはハンドバックで会場から出てきたので、写真を1枚撮った。このぐらいの選手になると、荷物は自分で運ばないんだな、と感心する。横浜から横須賀線に乗ったときに、私の隣の席に座ったのは選手の一人「石田さやか(慶応大学、きょうは19位)」だった。もちろん、自分で荷物を持っている。

 東京駅で降りて、「東京ミレナリオ」を少しだけ丸ビルの脇から見た。正規のルートで見るには、スタート地点まで1時間半かかるとアナウンスしていた。昨年も見たが、それとほとんど同じ形に見える。神戸のルミナリエは、毎年形や色が変わるので楽しみがあるのだが、東京はそうではないのか。


2004.12.23(祝) 写真903枚

 
私のホームページに、何枚の写真を掲載しているか、試しに数えてみた。
 「写真集」「写真アルバム」その他にチケットコレクションに載せている写真も合わせると、現在903枚。
 チケットや記念切符類は、96枚。
 写真が903枚というのは意外だった。300枚ぐらいかと思っていから。
 YahooBBのHP容量が300MBに拡大されたので、これからまだまだ登載できる。


2004.12.23(祝) 牛乳がない

 
私の生活に牛乳は欠かせない。冷蔵庫にはいつも牛乳があるのだが、昨日の会社帰りに買って帰ろうと思い、アパートの向かいのマルエツに寄った。売り場の中で牛乳が占める場所は広いのだが、なんと、ガランとして空っぽになっている。実はこういうことはよくあるのだ。そこそそ大きなスーパーで、夜10時まで営業している店だが、8時台の時間帯でこれではどうしようもない。会社からアパートまで徒歩5分の通勤経路には、4軒のコンビニがあるので、そこに行けば買えるが、わずか1分でも戻るのは面倒で、そのまま帰ってしまう。従って、今朝の朝食は牛乳なしとなった。
 人様にはどうでも良い話かもしれない。私は牛乳なしで生きていけない人間なので、こんなことがテーマになるのだ。朝食時の一杯と、夜寝る前の一杯は習慣で、他にも飲む。海外旅行先でも先ずはスーパーを探して牛乳を買う。飛行機の中でも牛乳をもらう。国際線の飛行機で通常サービスされる飲み物の中に牛乳(MILK)はないが、申し出れば必ず持ってきてくれる。国際線の飛行機で牛乳を積んでいないことはない、ということになる。
 今日は午前中に牛乳を2本買いに行く。


2004.12.12(日) 暗い週末

 
私がこれまでに受けた試験の中で、きょうの試験ほど辛いものはなかった。これを受ける多くの人々にとっては、それほどでもないのかもしれないが、今回の私にとって、まさに合否ギリギリの線が予想されたから、この1か月ぐらいは必死だった。年齢とともに、勉強は苦手になる。頭に入らないのだ。もう少し若かったらと、思っても言い訳にしかならない。
 持ち帰った問題用紙をもとに、専門学校の業界がネットで公開している模範回答を見て自己採点をしたら、合格に2点足りない。悔しい。2点と言えば1問なのだ。辛い思いをしたこの1ヶ月を思うと、余計に悔しい。しかし、そもそも、自分の努力不足だったから、誰をも恨めない。要するに遊び過ぎたということだ。こんな程度の努力で、合格率30%台のこの試験に受かってしまったら、本当にがんばっている若い人たちに申し訳ない。なめたらいかん、といういい薬だ。
 昨日の同窓会を欠席してまで取り組んだ土壇場のジタバタ劇は、申し訳なく、恥ずかしい結果に終わり、私に教訓を与えてくれました。


2004.11.30(火) 天国の階段

 
韓国ドラマの「天国の階段」は、毎週土曜日午後4時からフジテレビで放送されている。当然大阪でも系列の8チャンネル、関西テレビで放送しているのかと思いきや、なんと先週末に大阪では放送していないことが判った。また今回も見逃したので、ストーリーがわからなくなった。
 逆に、金曜日の夜に大阪で放送される「探偵ナイトスクープ」は、東京では見られない番組だ。関西では高視聴率の番組だと聞いている。面白い。東京ではウケない番組なのだ。

 何日か留守にして、今夜帰宅したら、新聞がドアの前に山積みされていた。しまった。新聞店に停止をお願いするのを忘れていた。昨年の夏、週末に大阪へ帰ったとき、エアコンをつけっ放しだった事件よりはまだましか。今だに、電灯の消し忘れは頻繁にある。

 会社のビルの2階のコンビニが、きょうオープンした。帰りに通って気がついた。コンビニだからもちろん24時間営業。夜になると静かな場所が明るくなった。このあたりの2つのビルとホテルの客が利用対象になるから、結構売れる店になるのかも知れない。


2004.11.22(月) コンビニができる

 
会社の入っているビルの2階、みずほ銀行のATMコーナーだった所が、銀行の移転とともに空き家になっていたが、先日から何やら工事が始まり、いよいよ何ができるのかと思っていたところ、きょうの帰りに判明した。am pmのコンビニ店なのだ。夜を徹して工事をしているから、たぶん近日オープンに違いない。
 コンビニができると生活が変わる。これで、会社からアパートまでわずか徒歩4分の間に4軒のコンビニと1軒のスーパーがあることになる。朝・昼の生活にも変化が起きるか。
 大阪の家の近くにファミマができたときも、大きな環境変化だった。子供たちの仲間がよく自宅へ来てたむろする際に、コンビニが近いことは何よりのステータスで、鼻が高いようだ。


2004.11.16(火) ベルリンフィル

 
ベルリンフィルの日本公演が各地で行われている。今朝、めざましテレビで紹介された。私は今回見に行く予定もお金もないが、唯一度だけベルリンフィルのコンサートに行ったときのことを思い出さずにいられない。世界三大オーケストラのひとつであり、昔から日本公演のチケットはべらぼうに高い。
 1979年6月18日、ロンドンのロイヤル・フェスティバルホール。指揮はカラヤン。メインの曲は「ツァラトゥストラはかく語りき」。メンバーはほとんどが年配の男性。というか、ほとんどが「巨匠」と言える名手ばかりで構成される楽団。私のような田舎育ちにとって、このコンサートは夢の中の出来事のようなものだった。どんな演奏だったか、言葉で表現できるものではない。当時のベルリンフィルは全盛期だったと思う。あの曲をあれほどまでに完璧に演奏するのを他で聴いたことはない。この日のチケットは、私の「生涯最高のコンサート」として、「思い出のチケットコレクション」に掲載している。これを見て感慨に浸るのは私だけで、他人様には何の感動もないはず。コンサートはレコードとは違い、その場にいた人だけのものなのだ。


2004.11.7(日) 新宿御苑

 
久しぶりに新宿御苑へ行ってみた。菊花壇展とバラ、そして少し紅葉が見られるこの時期に、昨年も行ったので、今年はどうかと楽しみだった。ここの菊は元々皇室のものだっただけに、量よりも洗練されたもので構成されている。菊の御紋の菊もある。苑内のすべてに落ち着きがあって、芝生もきれいだ。入園料200円。宮内庁の管理から、現在は環境省の管轄になる国民公園。私が思う東京で最も良い公園だ。


2004.11.6(土) 荒川優勝、安藤パーフェクト

 
いよいよ女子の最終日、フリーの演技を、当初はNHK総合TVで予定されていた番組が、震災関係の番組に替わり、教育TVで9時からの放送になって、一人テレビにかじりついて観戦した。フィギュアスケートに観戦という言葉が似合うのは、きょうのようなケースで、2位以下が僅差だから面白い。
 それにしても、きょうの荒川静香はガチガチに固かった。昨日も固かったが、それ以上に、見ていて肩が凝る。それでも優勝してしまうあたり、今年早稲田大学を卒業して、この世界ではベテランに属する域に入り、女王の貫禄みたいなものか。しかしその荒川も、グランプリシリーズでの優勝は初めてで、まだまだ成長の可能性を持っている。
 きょう、驚くほどのパーフェクトな演技を見せたのが安藤美姫。名古屋の高校2年生。成功確率の低い4回転ジャンプをやめて、全体を技術、芸術の両面で完璧に仕上げたきょうのフリー演技は、ジュニアから突然大人に変身したみたいだ。私が今までに見た彼女のフリー演技では最高の出来だった。こういう若手がどんどん成長するから、日本の女子フィギュアスケート界はますます熾烈なトップ争いとなる。

 グランプリシリーズの6戦+ファイナルが12月中旬まで立て続けに開催され、そして12月末の全日本選手権が、私の最も楽しみな試合となる。ここには日本の選手はみんな出場できるので、世界のトップたる日本選手がそろってしのぎを削る唯一の大会なのだ。今年は12月26日(日)に新横浜へ見に行く。チケットの発売は今月20日。


2004.11.5(金) NHK杯フィギュアスケート

 
フィギュアスケートのグランプリシリーズ第3戦、NHK杯が始まり、きょうは女子ショートプログラム。ビデオに録っておいて、じっくり観た。ジャンプの失敗などで点を落とした恩田や安藤と対照的に、荒川静香の見事な美しい演技に、うっとりとして、ため息をついた。ショートプログラムの曲は、プッチーニの歌劇蝶々夫人から「ある晴れた日に」。荒川のプログラムは、いつも音楽に魅せられる。前回も、フリーに使ったのが、プッチーニの歌劇「トゥーランドット」から「誰も寝てはならぬ」で、その音楽と高度で美しい演技がマッチし、感動させられたものだが、今回のこの曲も、オペラのシーンや、マリアカラスのCDで何度も聴いた感動的なメロディーに引き込まれる。明日のフリーの結果を待たずして優勝が決まったと言ってもよいほど2位との大差。これ以上、言葉で表現できない。日本の女子フィギュアスケートが、世界の中でここまで高いポジションに来たのが、長年見たきた私には夢のようだ。オリンピックで金メダルをとる日がいよいよ訪れるか。早いもので、次の冬季オリンピックまであと1年と少し。村主、荒川、安藤の3人の中から、金メダルが出る確率は80%以上、それに恩田、太田を加えた5人の中からメダルが2人以上出る確率は90%と私は分析する。本当はメダル独占の実力もあるのだが、冷静に考えて、そもそも、オリンピックに5人も出場できないので、代表争いの方が熾烈だ。女子マラソンみたいなことになるかも。
 明日のフリーもテレビでじっくり観よう。興味のない方も、ぜひ、夜9時からのNHK教育TV、「女子フリー」の演技は見て欲しい。世界の女子で唯一人4回転ジャンプができる安藤がそれを見せるか、多彩なジャンプと表現力が磨かれた恩田が挽回するか、そして荒川がどのような完成度の高い演技を見せるか、1位から3位まで日本選手が独占することも不可能ではない。


2004.11.3(祝) 湯島天神の菊花展、樋口一葉、東京時代まつり

 
秋晴れの祝日。朝起きたときは決してよくなかった風邪の具合も、外の天気とともに良くなり、昨日Itouさんより情報があった湯島天神の菊花展へ。昨夜ネットで新宿御苑の菊花壇展を調べたら、今年は開花が遅いので中旬ぐらいが良いと良心的に記されていたので、迷わず湯島天神へ行った。梅のときにも行ったように、JR御徒町から歩いた。
 ここの菊は、境内の風景にマッチして、とても良い。立派な作品ばかりだし、スポンサー提供の懸崖菊は、本殿の左右に飾られ、おりしも七五三の家族連れで賑わう。私は、菊を眺め、七五三の子供たちや親たち、おじいちゃんおばあちゃんの様子を見て楽しんだ。着飾っている子供も親も、どこかよそ行きのようで楽しそうだ。そして、やはり子供なので、親があれこれと写真を撮るのにもうるさく言ったりしている。でも微笑ましい。そんな様子を見ている私には、何度もシャッターの依頼があり、私は写真屋のオジサンと化した。狭い境内に1時間滞在して時の風物詩を楽しんだ。

 台東区立一葉記念館というのがあるのを、昨夜の新聞で知った。時代祭りで樋口一葉の役になる人も小さな記事になっていた。きょうの次の行動は、樋口一葉の記念館へ。
 新5千円札の肖像に、初めて女性がなったこともあって、いま一番の脚光を浴びている人物。私が樋口一葉を知っていることと言えば、「たけくらべ」という作品の名前だけで、それ以上何も知らない。この際勉強をしようと行って見ると、館内は大混雑。美しい筆跡の原稿や手紙に、見とれてしまう。書道をすこしでもやった人ならわかると思う。極上のきれいな字だ。明治初期の、少しだけ勉強の出来る普通の女の子が、母親の反対を押し切り、父親が買ってくれた硯と筆を使い、文学の道に進んだという画期的な女性だったのだ。その才能も残念なことに23歳で肺結核のために終えてしまう。11月23日は命日で、この日に記念館ではイベントがあり入館無料となる。

 一葉記念館から歩いて浅草へ。途中、昨日酉の市があった鷲神社(おおとりじんじゃ)を通り、浅草寺に着く。人がたくさんいる。東京時代まつりの出発点だ。時代まつりといっても、仮装行列みたいなもの。しかし、東京の歴史絵巻を見せてくれるので、楽しい。出場者を沿道で応援する身内がいて、その光景がまた微笑ましい。
 久しぶりに浅草かいわいを歩き、吾妻橋を渡る。水上バス桟橋に、ちょうど新型船「ヒミコ」が着いた。錦糸町までは徒歩20分。正規のウォーキングで汗をかいてアパートに着いた。


2004.10.31(日) ユニクロ

 
風邪を引いてから、まる2週間が経った。なかなか治らないのは年のせいか。風邪で医者に行って、薬を飲み終わってもまだ治らないのは初めてだ。
 ということもあって、この週末はどこにも出かけず、風邪を治すことに専念した。というよりも、出かける元気もなかった。

 先週末に新聞に入ったユニクロのチラシ。これは全国同時だったと思う。金曜日の昼休みにユニクロへ行ってきたItouさんから教えてもらい、私も早速金曜日の夜に行ったら、8時で終わっていた。翌朝午前中に錦糸町のユニクロへ。目的は、昨年の冬に私にとって大好評だった新素材の下着を買うこと。チラシを見ると、あるある「ヒートテックプラス」というヤツだ。半袖Tシャツとタイツを買った。昨年はシーズンの早い段階で売り切れたので、ここでためらってはならぬ。行く途中、歩きながら大阪の自宅に電話をしたら、妻もそのチラシを見ていて、自分のを買いに行くと言っていた。今年は女性用も出来たのだ。しかもこの3日間限定の特価で、安いのだ。ユニクロの売り方は、こういう点が繊維業界の常識から外れている。冬物の最初に特価で出し、その後は定価で売る。そしてまた時々特価にする。最終的に在庫は残さない。惜しまれながら「売り切れ」となるので、急いで買いに行ったりする。
 ユニクロとは規模が違うが、我が三男の職業はライバルになる。息子の会社は若者をターゲットにしているので、私らの着るようなものは売っていないから、私は安心してユニクロに買いに行くのだ。妻もそうだ。
 昨日ユニクロで見た光景はどうかというと、かつての若い人中心の客層ではない。中高年の男女が多い。若い女性もいるし、ベビーカーを押した夫婦もいる。ユニクロは商品の種類こそ多くないが、サイズが豊富にあるので、元来自分の着るものを選ぶのが苦手な私にはとても買いやすい店なのだ。錦糸町の店は徒歩6分、大阪の店は徒歩10分、車ならスグのところにあるので、我が家は相変わらずユニクロ党。
 他にも、「NASAのためにつくられた最先端素材・アウトラスト」のフリースジャケットと、「エアテックジャケット」をチラシのお奨めどおりに購入し、全部で7千円台だった。やはりユニクロは安いのだ。


2004.10.26(火) ビールかけはやめろ!

 
きょうの昼食に豚汁を食べた。とても美味しい豚汁で、体が温まる。
 被災地の避難所で、冷たいおにぎりやパンばかり食べている人たちに、この豚汁を届けてあげられたら、どんなに喜ばれるだろうと思いながら食べた。

 昨夜は日本シリーズで西武の優勝。お決まりのビールかけをテレビで見るのが嫌なので、テレビは早々と消して寝た。ところが、思いもよらず、朝の番組で見てしまった。ビールかけをテレビで放送するのはやめて欲しい。汗と涙の結果の優勝だから、思い切りビールを浴びてはしゃぐのは、それは構わない。しかしそれをテレビの映像で流すのは、子供も見ているのに、何とかならないものか。1200本ものビールを、飲むのならともかく、流してしまうという無駄な行為を、野球に夢を持っている子供たちに見せられるものか。避難所で、ビールの一杯でも飲みたいと思っている人たちに見せられるものか。餓えに苦しむ世界の人たちにはどのように見えるのか。日本の多くの人が、いや、西武ファンの人も、あのシーンを見て喜ぶのか。
 テレビ局の皆さん、報道協定か何かで、ビールかけのテレビ放映はやめることにしてもらえないでしょうか。


2004.10.23(土) 地震

 
今朝、平日よりも早く家を出て、「丸の内仲通りガーデニングショー」を見に行った。先週の土曜日から明日までのイベントで、先週行った日比谷公園ガーデニングショーとセットで行われているものだったらしい。ウランちゃんからの情報で昨日知り、きっと花は傷んでるだろうと思いながらも、一応行ってみた。
 廃墟の跡という感じだった。1週間経ったら花は傷むに決まっている。こういうイベントでは、どうしても初日をターゲットにして花は作られるので、あとは衰退するだけだ。しかも今週は台風も来た。花のイベントは「初日の朝に行く」のが鉄則。ウランちゃんと先週その話をしていたので、そのことを気にしながら紹介してくれたのだが、まさにその通りのことを証明するために行ったようなもの。
 ところが、昨年、このセオリーがダメだったことがある。新宿御苑の菊花壇展を、初日の朝に行ったら、懸崖菊がほとんどまだつぼみだった。それも一つの経験。

 さて、夕方の地震。何度も長い時間にわたって揺れるのは、とても怖い。東京でもこれだけ続くのは稀だ。23時35分たった今も余震が。今夜はまだ続きそうだ。阪神大震災の体験から、血が騒ぐような妙な気分だ。今朝の花の廃墟と、地震とが結びつくような気もしてきた。


2004.10.17(日) 昭和記念公園のコスモスが一時壊滅

 
きょうの日曜日はゆっくりしようかと思っていたのだが、昨日とうってかわっての快晴となり、これでは出かけざるをえない(?)のが私の習性でもあり、中央線で立川へ。国営昭和記念公園のコスモスを見に行く。好天と本日無料開放日に誘われてか、大勢の人が来ている。昭和記念公園は、万博公園と似ている。広い芝生、季節ごとの大規模な花畑、日本庭園。

 ここで秋のコスモスを見るのは今回が初めて。各所に種類の違うコスモスを時期を変えて咲かせている。最もポピュラーなピンクのコスモスは、最も広い面積に植えているのだが、行ってみると大変なことになっている。1週間前の台風22号で、このエリアは無残な姿になっている。壊滅状態だ。そういう中でも一輪の花が青空に向かってスキっと立っていた。一方、離れた場所にある少し時期の遅い白い種類の花は、ほとんど被害もなく、まだこれから咲くつぼみも元気だ。コスモスのような弱い花が、あの記録的な強力台風の襲撃を受けたのでは、ひとたまりもなかろう。

 昨日もきょうも、撮った写真は、新しいアイコン「2004秋の花アルバム」から、Yahooフォトアルバムを使って掲載した。デジカメと写真加工の技を少しずつ覚えて来ているのだが、それでも、使い物になる写真は10枚撮って1枚ぐらい。写真は難しい。


2004.10.16(土) 日比谷公園ガーデニングショー

 
昨日の快晴とは変わって、きょうは曇りの一日だった。メトロ沿線ウォーキングの後、日比谷公園ガーデニングショーを見た。昨年も見た貴重なイベント。私の興味はハンギングバスケットの作品。たった二日間のために丹精込めて作られた作品を見るのが、たまらなくドキドキする。写真をたくさん撮ったので、HPで公開する。紹介するのはほんの一部になるが、本当に短いベストの状態の花を、いつまでも見られるのは、写真ならではの贅沢だ。
 

2004.10.15(金) 今年も第九への挑戦

 
国技館で行われる「5千人の第九」に、今年も挑戦する。同級生、幼なじみのyuppeも初挑戦。きょうから始動した。練習は月に3-4回あるが、去年もほとんど参加せず、本番直前だけだった。でも今日は、きちんと発声、発音など、ていねいなレッスンを受け、まだまだわかっていなかったことを思い知らされた。yuppeはさぞかし大変なレッスンだったと思う。でも最後は出来るようになるので、それが楽しくなるはずだ。2月27日、国技館でその感動を味わうのを楽しみに、がんばろう。

 きょうの東京は8日ぶりの晴れ。それも文句なしの快晴。空の青さがこれほどまでだったことに、いまさらながら感激する日だった。明日も晴天の予報。メトロ・ウォーキングと、日比谷公園ガーデニングショーが明日の私のイベント。秋の花を楽しむ週末が、ようやくやってきました。


2004.10.11(祝) フィギュアスケートのシーズン

 
天気予報が変わり、きょうも雨になった。バラもコスモスも、この天気ではいい写真にならない。
 午後から、フィギュアスケート選手権東京大会を見に、明治神宮アイススケート場へ行った。3日間の大会の最終日、入場料は千円だった。12月に行われる全日本選手権の予選のまた予選みたいな大会。今年のシーズン幕開けである。出場者のレベルも随分格差があるのだが、小学生のクラスからシニアのクラスまで幅広い。シニアと言ってもほとんどが大学生。ジュニアと言っても、技術的にはシニアに迫る。リンクの上では大きく見えるが、控え室にいるときは普通の子供だ。可愛そうに、待ち時間に宿題をやっている小学生もいる。ここの会場は、観客席がないので、適当な場所で見る。控えの選手たちも、コーチや家族も、休憩場所のような私たちと同じ場所で飲食をする。

 シニア女子には、中野友加里が出ていた。早稲田大学1年生。3回転半を飛ぶ一流の選手だ。あの伊藤みどりと同じ山田満知子コーチの弟子で、名古屋の椙山から今年東京の大学へ進学した。先月北京で行われたアジア選手権で優勝している。つまりアジアのチャンピオン。そんな実績の選手でも、この大会を勝ち抜いて、次には東日本大会、そして全日本へと進まなくてはならない。

 フィギュアスケートを見に行く人は多くないと思う。きょうだって、選手のチームや関係者、家族など以外の一般の入場者は、おそらく50人もいなかったのではないだろうか。新聞の「きょうのスポーツ」にも出ない。なぜかよくわからない。私はいまだに、フィギュアスケートの国際大会は生で見たことがない。しかし、こういう大会は、色んな選手が、たっぷりと見られるので、楽しい。このスポーツも、テレビで見るより生の方が何倍も迫力がある。選手のいろんな表情も見られる。フィギュアスケートの観戦は私の楽しみの一つ。12月下旬の全日本選手権は、今年は新横浜。昨年は長野、一昨年は京都。このところこれは逃さずに見ている。


2004.10.9(土) 台風直撃の中、テニス観戦12時間

 
台風22号は予想通り関東地方を直撃した。この台風で、きょうはF1もサッカーも中止になったが、テニスのAIGジャパンオープンは行われた。有明コロシアムは開閉式の屋根のあるセンターコート。今日は盛りだくさんの7試合。朝10時の第一試合開始から、何とか第6試合まで見て帰宅の途についた。それでも夜の10時まで約12時間の観戦。こんな時間までいたのには訳がある。
 伊豆半島に上陸し夕方に雨も風も大変な状況になり、私の傘では、吹き飛ばされ駅までにずぶ濡れになること間違いない。しかし、いま帰らないと、電車が止まってしまい、帰れなくなるかもしれない。迷っているうちに、試合に見入っていると、時間はどんどん経っていく。結局午後10時、帰ることにした。そのとき、雨はすっかり上がり、風もなく、レインボーブリッジや東京タワー、東京の夜景がくっきりと見えるではないか。結論を急がなかったことの勝利だ。首都圏で被害も出ている最悪の時間帯に、私は有明コロシアムの中で避難をしていたことになる。最適の選択だった。

 きょうのプログラムは、女子シングルス決勝、女子ダブルス準決勝2試合、男子シングルス準決勝2試合、男子ダブルス準決勝2試合、の計7試合。一日でこれだけ見られるのはとてもラッキーだ。私の席は3千円なのだが、私は肝心のいい試合のときに、出入り口通路のところで立ち見をした。コートサイドの1万円の席と同じような場所で観戦したことになる。
 シャラポワはストレート勝ちで優勝。スーパーモデルばりの体で、一球一球を、全力で振りぬく力強さにも惚れ惚れする。天は二物を与えるのだ。報道カメラマンが多かった。有明コロシアム史上最高のカメラマンの数。もう一つ史上初めてのことが起きた。雨が強く横から吹き付けた頃、ちょうど男子シングルス準決勝の最中、雨漏りがして中断となった。再開後、結局ヒューイットがノバクに敗れる波乱。男子のテニスはスピードがあって見ごたえがある。このようなテニスの国際大会を見るのは初めてなのだが、疲れを感じさせない面白さがここにもある。
 
 あと1試合を残し、それでも6試合に満足して、10時に「ゆりかもめ」に乗り、ガラガラに空いている電車を乗り継いで、何事もなかったように、道路も乾いている錦糸町に着いた。国際線も夕方以降全便欠航したので、出発予定だったシャラポワは、もう一日滞在となったらしい。
 


2004.10.8(金) 台風接近、F1とテニスのシャラポワ

 
台風22号がこの週末に襲ってくる。鈴鹿サーキットのF1日本グランプリが、珍しい事態になった。明日の公式予選が中止になり、日曜日の午前に行われる。決勝は午後2時半スタート。F1は10年以上見に行っていない。今回も行く予定はないが、あれは体力の要ることなので、もうこの年では難しいと思う。日本人選手の佐藤琢磨、日本のマシーン、日本のエンジン、日本のタイヤ、皆がんばれ! というと矛盾だらけになる。皆優勝してしまうから。
 さて、今週、東京の有明コロシアムで開催中のジャパン・オープン・テニス。ウィンブルドン女子シングルス優勝のマリア・シャラポワ(ロシア)が、連日ニュースに出てくる。今日の準決勝も勝ったので、明日の決勝で、その噂の17歳、モデルもやっている身長183センチの姿が見られる。昨日までは青空の下での試合だったが、雨が降るときょうからは屋根が出て、明日もそうなる。チケットは全て売り切れ。実は私は、この試合のチケットを3ヶ月以上も前に購入し、楽しみにしてきた。男子のシングルス、ダブルス準決勝、女子ダブルス準決勝、そして女子シングルス決勝と盛りだくさん。台風の真っ只中、どんな天候になるのか、暴風雨のお台場へ、早朝からいざ行くぞ! 一応誤解のないように説明しておきますが、私は鼻の下を長くしてシャラポワを見に行くのではなくて、ウィンブルドン覇者のテニスを見に行くのです。


2004.10.6(水) 震度4

 
午後11時40分、関東地方で最大震度5弱の地震。私の墨田区では、ここから徒歩20分の吾妻橋の観測点で「震度4」(気象庁HPより)。揺れの最初は、よくあるいつもの地震程度かと思っていたが、横揺れが続き、これは並みの地震ではないと、中腰に立ち上がってみたら体がふらついた。部屋の中の物が落ちたりはしていない。
 阪神大震災のとき、私のいた吹田市が震度4だった。地震の経験が少なくない私は、とっさにいろんなリスクを想定した。火は大丈夫。着替えて会社に向かうべきかどうか。外では何かが落ちたようなバターンという音がした。とりあえず大阪の自宅に電話をして、こちらの無事を伝えた。まだニュース速報が出る前だったが、きっと心配をするはずだから。これも震災経験から。
 参考に、気象庁の地震情報は、http://www.jma.go.jp/JMA_HP/jp/quake/ とても速く掲載されている。


2004.10.3(日) 北海道

 
この週末に八雲へ行ってきた。2年半ぶり。函館空港からレンタカーを借りる。一人でレンタカーはもったいないという計算もあるが、やはり車の便利さには代え難い。
 今までに何度も行った函館の名所を一回り。函館山も大沼も、観光シーズンではないのでひっそりとしている。函館駅は改修され、駅前が工事中だ。

 八雲の同級生、梅ちゃん宅を訪ねた。もちろん奥さんにも初めてお会いした。いい感じのご夫婦。町の施設となって整備された梅村庭園、旧宅を復元した梅雲亭の中もご夫婦と一緒に見学させてもらった。紅葉が見頃になってきた。大きい鯉が沢山いる。小学生の写生大会とかで、子供たちが思い思いの場所で絵を描いていた。梅ちゃん宅でイチローの新記録を見る。大変記念になった。

 墓参りも2年半ぶり。今年、母親の50回忌。墓地へ行くと、自分の家のだけでなく、親戚の所にも回って行く。花は自宅に沢山あるのを切って持っていった。

 今年の夏は、八雲でも暑かったそうだ。しかし、もう10月。案の定、夜になると暖房を入れていた。早朝、函館へ向かう車を運転していて、私は、ヒーターを入れた。

 北海道の人はみんな北海道日本ハムを応援している。残念ながら、きょう日曜日、最終回同点でテレビ中継の終わった後、サヨナラ負けをニュースで知った。今日の北海道は晴れ。東京に着いたら完璧な雨。日本列島は広い。


2004.9.26(日) 魁皇優勝

 
大相撲秋場所の優勝は魁皇となった。今場所は一度も国技館へ見に行くことができなくて、きょうもニュースで朝青龍を破った場面を見て、それはそれで感動的だった。魁皇と千代大海は長年応援してきた力士なので、今回は特にうれしい。朝青龍一人が強いこの頃だったが、こういうこともなけりゃ相撲は面白くない。魁皇の弱点は、好調が続かないこと。腰と膝に弱みがある。来場所は出身地の地元福岡で、ぜひ横綱を決めてほしい。同期入門の若貴が既に横綱を経て引退して久しい。遅咲きの横綱でいい。豪快な上手投げが相撲の醍醐味だ。外国人の若手力士が台頭してきて、ますます面白い相撲が見られる時代が来るか。


2004.9.25(土) サヨナラ、近鉄バファローズ

 
昨夜、大阪ドームでの近鉄最終戦。試合は近鉄のサヨナラ勝ち。

 私と近鉄バファローズの出会は、1979年の初優勝のときである。平塚から大阪に転勤し、社宅が近鉄沿線の学園前になり、優勝のファン感謝イベントが行われるあやめ池遊園地もすぐ近くだった。私の行くところ、めったに優勝しないチームの優勝がある、と言うジンクスの始まりだった。   
 会社の用で、名将・西本幸雄監督にインタビューをした際、帽子にサインをもらい、一緒に写真を撮らせてもらった。その写真はパネルになって今も自宅に飾ってある。

 当時本拠地だった日生球場での観戦は、野次がそのまま選手に届き、向かいの三塁側スタンドとの野次合戦も楽しかった。野次将軍のギャグが周囲の観客を笑わせる場面が多く、昔懐かしのプロ野球観戦そのものだった。梨田がキャッチャー現役。

 2001年9月26日、優勝の決まる瞬間、北川の代打・逆転・満塁・サヨナラ・優勝決定ホームランが、私の立っている外野スタンドのすぐそばに飛び込んできた。今でも近鉄のことがニュースになると出てくる映像に、一瞬私の姿も写っているのが見える。このシーンは何度も使われる。昨夜のサヨナラのシーンは、この優勝のときのシーンと似ている。

 確かに近鉄球団は経営が苦しい。近鉄という日本で最も営業距離の長い私鉄が親会社で、この近鉄グループのバックアップがあったからこそ今日まで来られたと思う。おそらくこの球団は、55年間の歴史を通じて、赤字を出し続けた会社だと思う。普通の企業なら1年でギブアップだ。王道経営の近鉄グループ200社の中で一つだけ赤字会社がある、それはどこかと言う話はクイズにもなるほどだった。

 オリックスとの出会いは神戸だった。震災後の勤務となった神戸で、その年に初優勝したのがオリックス・ブルーウェーブで、私はその瞬間を外野スタンドの後ろの人垣の中から見ていた。ホームインしたのは日生野球部から近鉄に入り、オリックスに移籍した大島選手。サヨナラ勝ちの優勝決定だ。オリックスはその翌年も優勝し巨人を破って日本一になる。神戸ポートピアホテルでのパーティーに出席する恩恵に浴して、選手たちと間近で会話することもできた。イチローが花盛りのときである。時々会社を挙げてグリーンスタジアムへ応援に行くこともあった。

 満員の入場者のとき、関係者に配られる大入り袋を私もいただいたことがある。100円玉の入ったその大入り袋は今も宝にしている。


2004.9.22(水) プリンターの故障!?

 
プリンターで印刷をしているとき、1枚目の途中で色がおかしくなり、黒い色が出なくなって、他の色もめちゃくちゃになった。少なくなっている色のインクカートリッジを取り替えてみたが、何度やりなおしても、黒いはずの所が緑になったり、赤の所が黄色になったりと、治る兆しもない。マニュアルを見て何か対応する方法を捜すべきだったが、急いでいたのでギブアップした。購入して1年余り。よく印刷もしたので故障かと観念した。修理か買い替えか、まで考えた。

 夜に、マニュアルをゆっくり読んで、プリントヘッドのチェックをしてみたら、まさにそこに書いている通りの現象で、ヘッドをクリーニングしたり調整する操作で修復した。思えば、インクジェットのプリンターだから、インクを噴出するヘッドが詰まったりするわけで、そういう機能があることは、Canonのワープロの時代からわかっていた。落ち着いて考えればなんのことはない。しばらく使わなかったので、詰まっても不思議ではない。物事には冷静に対応するべし。
 

2004.9.21(火) 日本ハムとロッテ

 
プロ野球のストライキのことよりも、パ・リーグで今年からできたプレーオフの行方が気になる。新しい制度ができたときは面白い展開になるものだが、まさに今年はその展開だった。過去形で言うのはまだ早い。まだ決まらないのだが、そこで問題になるのが、ストがなかったらどうだったのかということ。実に大変なときにストが行われ、その有無で天と地の差を分けたかもしれない。
 ロッテは、いまの私には地元球団と言える存在。私の行くところ、めったに優勝しないチームが優勝するジンクスのその臭いがしてくるのだ。そして日本ハム。これは今年から北海道のチームとなった典型的な地域密着型の球団であり、道産子の私としてはぜひ応援したい。日本ハムが私のふるさと八雲町に工場を持つありがたい企業であることも手伝って、故郷にいる弟は長年、日ハムのファンを公言してはばからない。プロ野球の試合を田舎で見る機会など全くないにもかかわらずだ。
 昨日も今日も、両チームともに劇的な勝利で一歩も譲らない。
 日ハム、ロッテ、どっちもがんばってプレーオフ進出を! 名案がある。今年に限り変則で両方ともプレーオフに参加できるようにしてはどうか。


2004.9.17(金) プロ野球、スト突入

 
プロ野球のストライキが決まり、今週末は野球のない日々となる。新規参入をしたいという企業が2つもあるのに、来期にそれを認めることはできないという、なんだかよくわからないことになっている。今日の交渉でも、それ以上進展しないのは、「セ6・パ5はオーナー会議で決定済みだから、球団代表には変える権限がない」というのが、きょうのホントの理由のようだ。つまり、きょうはナンボ話し合っても、結果は決まっていたことになる。
 プロ野球のストは困るが、一度その状況を見てみたいような気がする。土日に野球がなくて、他のレジャーを楽しむ日々があってもいいかもしれない。スポーツは他にもある。プロ野球よりも、楽しいことを発見する日々にしてもいい。プロ野球のダメージは決定的。どん底に落ちて、関係者みんなで考えてみるべきだ。
 
 明日から3連休。大阪で過ごすことになる。


2004.9.11(土) 9・11

 
きょうは9月11日。新聞もテレビも何となく「9・11」でざわざわしている。

 それとは関係ないのだが、予定のない土曜日、日頃の運動不足を解消しようと、出かけた。
  
 まずは、東京駅で降りて、丸の内の方へ。近日オープンの新しいショッピング・グルメゾーン「丸の内O
aZO」と我が社の新社屋のあたりを見る。丸ビルはオープン2周年。人出は相変わらず多いが、競争を見込んでか、固定客の確保に会員カードのPRをしていた。昨日から始まった二階建てオープンバス「スカイバスTOKYO」のPRもしていた。ロンドンでは定番の屋根のないバスツァーだ。車体が赤いのもロンドンと同じ雰囲気を出している。席数は少ないので、きょうこれから乗ろうと思うと、夕方以降になる。また今度いつか乗ってみよう。この手のバスツァーは、観光スポットを通るだけで、下車して見物するわけではないから、効率がいい。所要時間45分、大人1200円。バスは1台だけで運行している。

 和田倉噴水公園を通り、大手門から皇居東御苑へ。きょうは特に見る花もないので、ゆっくり通り抜けて平川門から出た。竹橋からメトロに乗り、一度乗り換えて渋谷へ。もう暑くないのに地下鉄の車内の冷房は半袖から出ている腕が冷え切るほどこたえる。

 渋谷に行くのは目的があった。若者の街だから、ちょっと恥ずかしいのだが、かといって若い人がこちらをジロジロ見るわけでもない。さすが都会だ。これだけ多くの人がいても、誰一人知っている人に会わない。
 目的は、東京FMのスペイン坂スタジオ。土曜日午後1時からの「カウントダウンジャパン」は、全国ネットの放送で、それはそれは、歴史のある番組。何十年も前から、この番組を聴いてきた。若い頃からだ。渋谷のパルコの一角に「スペイン坂スタジオ」というのができてからも、10年以上になると思う。その公開スタジオを、きょう初めて見ることになる。私は「カウントダウンジャパン」と2時からの「コスモ・ポップスベストテン」を、放送現場の雰囲気とともに楽しませてもらった。路上の人々の様子は様々で、ゲストの来る時間帯は殺到するが、他のときは静かで、だいたい短時間で行ってしまう。オジサンは来ていなかった。どこがスペイン坂なのか、地図を見てわかった。少し曲がった短い路地で、坂を登りきったところにあるのが「スペイン坂スタジオ」。ずっとラジオで聴いていて、スペイン坂とは、いい感じの名前だと思っていたので、その付近のこともわかって満足だった。帰りにマクドでハンバーガーを食べた。道行く人を眺めながら。私は、いまこのあたりにいる人々の中で最高齢者かもしれない。

 フジテレビのドラマ「9・11」を見た。ワールド・トレードセンターが倒壊する前の景色も見られた。富士銀行の行員と家族の物語だが、様々な思いが重なる。まさか自分のいるビルが倒壊するとは考えなかっただろうから、息子2人と妊娠中の妻を残して死ぬような無念を想定する時間もなかったに違いない。頑張れ、奥さんと子供たち。
 一般にビル火災は、出火階よりも下に避難すれば安全だと言われている。あのような倒壊が起こるビル火災は例がなかった。

 私がワールド・トレードセンター(WTC)に行ったのは2度。最初は1979年の7月。ニューヨーク事務所のK所長に奨められて、すぐそばにあったWTCに上ってみた。そして2度目は1997年8月。20年以上経ってもほとんど変わりのない様子だった。1階のフロアで展望エレベーターの乗り場がわからず、若い黒人女性の警備の人に聞いたら、2階だと教えてくれた。チケットを買うのに並び、エレベーター前でまた並んで手荷物検査を受ける。展望台へのエレベーターでは、耳がキーンとなるので、唾を飲み込むこと3度。高いところにあるのに、その日も無風で、景色を楽しめた。ブルックリン橋や自由の女神、マンハッタンの街並が全て下に見える。平和なときだった。
 2001年9月11日、私もテレビで見ていて、信じられなかった。ニュースステーションの最初の画像が1回目の突入後のシーン。テレビのアナウンサーはまだ充分に状況を把握していない。私にはすぐにそのビルがニューヨークのWTCだとわかった。飛行機が衝突したらしいと言うコメントがあった。ああそうか、と見ていた。まさかその後に、2棟目にも突入し、両方とも崩壊するとは。


2004.9.6(月) 決勝戦

 
都市対抗野球の決勝戦が今夜行われた。さすがにきょうは見に行けないのだが、終盤ぐらいは見られるかも知れないと思っていた。東京ドームに着いたのは午後9時過ぎ。チームの受付をたたもうとしているホンダの人に聞いたら、快く入場券と応援のうちわを2本くれた。
 ホンダ対王子製紙。5対5の同点で8回裏、王子製紙の攻撃中。ホンダの応援団は、内野、外野ぎっしりで、さらに3階席まで入っている。応援のボルテージも最高。終盤8回に1点を取って同点に追いついた試合展開。9回の表、ホンダの攻撃は、無死2塁のチャンスに送りバント失敗し三塁でタッチアウト。延長10回表もホンダがチャンスを作るが得点できず。そして運命の10回裏、王子製紙のサヨナラホームランで試合終了となった。王子製紙は初優勝。
 この大会、ホンダの戦いぶりを注目して見て来た私は、結局ホンダの5試合中4試合を見たことになる。きょうの決勝戦。最初は見ていないが、終盤に追いつき、さらに押し気味の展開から、最後は一発にやられた結末。野球の試合だけでなく、こういうことはスポーツの世界ではよくある。世の中によくあることだ。
 ホンダは、2年前の大阪ドームでの日本選手権でも、決勝で負けている。そのときと同じ監督だから印象に残る。そのときの決勝の相手は、・・・日生であり、日生の最後の抑えの投手は土井。先日シダックスにサヨナラヒットを打たれた土井だった。ここまで来て、またも勝ち運に恵まれなかったホンダナインにエールを贈りたい。いいチームだ。優勝候補の予想には全く無印だった両チームの戦いぶりは見事だった。私は、しばし外のベンチに座って、いい試合を見た感動を振り返った。

 野球が好きなだけではない。トーナメント戦がもたらす迫力とドラマ。練習と準備と、相手を知ることと、そしてチームワーク、気合い、そのときの調子、運、ギャンブル、等々いろんな要素の上に展開される筋書きのないドラマだから、見入ってしまう。これを糧に、これからも頑張ろうと思う。


2004.9.4(土) 都市対抗野球観戦・準々決勝4試合

 
悔しい敗退から一夜が明け、どうも夢にまで出てきたような悪夢を、この際一掃するべく、今度は、準々決勝4試合が行われる4日(土)、試合開始の1時間前、8時から、東京ドームのネット裏、前から2列目の良い場所に座った。テレビ中継があれば写る場所。まあ、それはないので、きょう一日、ゆっくりと過ごす場所だ。

 試合が行われると、どうしても昨夜の試合とダブってきて複雑だ。懸命に応援する人たちを見るにつけ、最後まで勝負がわからない試合ばかりなので、昨夜の試合と同じだと繰り返し思ってしまう。マスコットガールが間近に見えると、うちのM君にも、もう一試合ぐらいあの場所に立たせてあげたかったと思ったりする。

 ホンダとJR九州の試合では、ホンダが勝ったのだが、その最後の状況は、昨夜の我が社の状況と似ていた。ホンダの3点リードで迎えた9回裏、無死満塁のピンチ。結局1点は返されたが、2点差で終了。状況は似ていたが、結果は全然違う。ホンダは強い。

 第4試合、シダックス対王子製紙が始まったのは、なんと20時30分。きょうは4試合の過密スケジュールなので、熱戦も続き、だんだん遅れていく。雷雨の中で、一応屋根の下ではあるが、2時間も待った応援の皆さんは、さぞかしご苦労だったと思う。うちの試合でなくて良かったかもしれない。応援団は試合ごとに入れ替えなので、夜の遅れた試合の場合は待たされるのだ。

 きょうのシダックスは、初回にいきなり、キューバのキンデランが、左中間に度肝を抜く2ラン・ホームラン。そうだ、昨夜は、この強打者を封じ込めていたのだ。こうして牙をむくキューバの赤い大魔王を見ると、うちのチームが、昨夜の試合で、8回2死まで0点に抑えていたことは、すごいことなんだと思った。シダックスの対戦相手は愛知県春日井市の王子製紙。シダックスは投手起用に苦労していた。昨夜、vs日生戦で、主力の先発投手を2人とも使ったので、狭間になる。そうなんだ。シダックスのとっておきの主力2投手を引っ張り出したのも日生だった。アマチュア野球界ナンバーワンの野間口が150キロを超える速球を投げれば、それを狙って打ち、野間口から貴重な追加点を奪ったのだ。
 昨夜の結果のことはともかく、今夜の結果は、王子製紙の勝ちとなった。またも良く似た状況が最終回にあった。3点差を追うシダックスの9回の攻撃だが、結果は、あっけなく3者凡退。昨夜のあの試合と、きょうのこの2つの試合の違いは何か。答えは明快だ。王子製紙も、ホンダも、守備のミスがなかった。それだけ。

 都市対抗の準々決勝4試合観戦は初めて。見ごたえ十分のいい試合ばかり。
 社会人野球は、守備でプロに劣ることはないと思う。引き締まった試合が多い。

 試合終了23時44分。朝8時から「15時間44分」のあいだ、東京ドームのその席にいたことになる。食事やトイレなどで試合と試合の間の時間は席を離れて歩いたが、試合中は一度も席を立たずに見ていたので、エコノミー症候群になりそうだ。

 明日の準決勝は、@ホンダvs七十七銀行 AJT vs王子製紙。
 優勝候補とされていたベスト4チームは、全て敗退した。


2004.9.3(金) 惜しい、悔しい敗退

 
いよいよ2回戦。社会人野球の最強チーム、シダックスとの対戦の時がきた。厳しい戦いとなるのは承知していたが、この試合は、実にドラマチックだった。試合が終わった瞬間、私は放心状態になり、涙も出ない、夢の中の出来事のようだった。

 野球の応援にはうってつけの、会社帰りのゴールデンタイム。試合開始は6時50分。強敵に勝つには奇策しかない。先発に補強の投手を起用し、8回2アウトまで完璧にシダックス打線を抑え込み、スコアは3対0。キューバの二人の強打者を封じ込めるのもうまく行っていた。シダックスの2番打者が2塁打を打ったのが8回2アウトから。しかし全く心配はしなかった。結果1点をとられ、勝負は最終回に。2点差で迎えた9階裏、なんと、試合を完全にひっくり返され、サヨナラ負けとなる。

 9回裏の守備は、悔しいがこれもドラマだった。1死満塁で、併殺コースの三塁ゴロ。その瞬間、歓喜の勝利の瞬間になるはずだった。ここで、予選、本大会を通じて、チーム初めてのエラーが出てしまった。守りは鉄壁だったのに、よりによって、たった一度のエラーがここで。次にさらに満塁のとき、ピッチャーは土井。長年、うちのチームの大黒柱を担ってきた彼が、抑えるしかない。いままでに何度も見てきたシーンを思い、祈る気持ちで、それまで張り上げていた声も出なくなった。あたりそこねの小フライが、投手と二塁手の間にポトンと落ちた。これも取れていれば併殺で試合終了の場面だった。勝利の女神は、ここまで意地悪なのか。これで同点になり、なおも1死満塁。外野フライでもサヨナラ負けとなるケース。シダックスの打者は、また、あの8回2アウトから二塁打を打った2番打者。センターの頭上を越える打球が飛んだ瞬間、私はへたり込んで椅子に座ってしまった。最後は勝負に負けた。

 シダックスを相手に、この試合は善戦と評されるだろう。それだけに、惜しい、悔しい試合だった。

 試合後に選手たちに会い、私の所属から出ているマスコット・ガールに職場のみんなで会った。ぐしゃぐしゃになって涙をぬぐっている姿を見ると、本当にまた悔しくなった。彼女にとっても生涯の思い出になる経験だったと思う。

 私にとって、この大会がまた一つ、たるんだ人生に喝を与えてくれるものとなった。


2004.9.1(水) 都市対抗野球

 
都市対抗野球の1回戦。応援をしていて全く心配のない試合展開の末、5対0で勝った。実力や前評判はあてにならないトーナメント戦。現に優勝候補と言われるチームが続々と負けている。我が社のチームは昨年も1回戦で負けたし、一昨年は本大会に出場すらできなかった。従って今回は3年ぶりのドームでの勝利。

 バットが木製になってから、試合運びがスムーズになり、見ていて小気味がいい。

 我が社の野球部は大阪が本拠地だから、大阪のときは所属に選手がいたが、いま東京には選手はいない。ただ、今回のマスコット・ガールが私の所属から出ていて、試合の攻撃中、ベンチの前に立っているだけだが、選手を出しているような気持ちで見守った。

 応援中、二人のチアリーダーに会った。大阪時代の私の所属の二人だ。まだ頑張っているんだ。
 試合後、選手たちの姿は生き生きしていた。きょうはピッチャーが完投だったので、私の元所属だった連中は登板がなかったのだが、それでも、勝利の握手を素直にできる。チームで戦っているから、これはプロ野球にはない結束なのだ。選手の中からプロに行くのはごく一部で、他は引退後、職場に就く。あるいは辞めて高校野球の指導者になる者も。しかし今懸命に練習をし、試合に臨む選手たちには心から声援を贈りたい。

 2回戦は3日(金)夜6時から。シダックスとの対戦。これはやりがいのある相手だ。昨年の準優勝チーム。監督はあの野村克也。主力選手に元キューバ代表のキンデランとパチェーコ、さらにはアマ野球界随一の野間口投手を擁する、正に別格のチームなのだ。それだけに、厳しい試合になることは間違いないが、可能性がないわけではない。トーナメントの面白さだ。