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最近思うこと(日記・エッセイ)
2004.8.22(日) 北海道からの優勝

 
甲子園の決勝戦。歴史に残る名勝負といってもいい。最初から最後までテレビの前で観戦し、表彰式の時には感激の涙があふれた。

 南北海道は、まさに私たちの生まれ育った八雲町の地区であり、そこから出たチームが甲子園で勝つことすら、その都度奇跡だった。冬の間は雪に埋もれてしまうグラウンド、地理的な事情で練習試合の機会が少なく、野球のレベル向上は難しい環境にあり、それが言い訳ではないが、北海道の高校の甲子園での成績は、北北海道と南北海道を合わせても、86回の大会にしてようやく50勝を超えたところだ。

 真紅の優勝旗が白河の関を越えるかどうか、過去何度も言われてきたが、東北が破れた後を受けて、一気に津軽海峡を渡ってしまった。今年の大会は、近畿・九州という伝統の強い地区が弱く、東日本が強かった。

 甲子園出場は私立高校のチームが多く、選手も、遠いところから野球のためにその学校に入っているケースが多いのだが、この駒大苫小牧は、全員が北海道の中学校出身だと聞いて、余計にうれしくなった。九
州出身の若い監督が指導をして、道産子のチームが、夢にまで見た甲子園での優勝。高校野球は、長年テレビでも甲子園でも観てきたが、わが郷里の優勝は、私にとっても夢の優勝だった。おりしも今年甲子園に行ったときに初めてアルプススタンドで北北海道のチームを応援したことと、この優勝とは、無関係でもないような気がして、きょうも真剣にテレビの前で応援をしたのだ。


2004.8.18(水) 甲子園とユニバーサル・スタジオ


 
13日から夏期休暇をいただいた。旅行の予定もないので、大阪の自宅で過ごす夏休みとなった。オリンピックのテレビ観戦にはちょうど良い。

 初日から、やはりどこかへ出かけたくなり、朝テレビを見ていて思いつき、甲子園へ。夏になると甲子園に惹かれる。高校野球は入場料が安い。ネット裏1600円は既に売り切れ。いつもなら内野特別自由席(1200円)にするところだが、今回は初めてアルプススタンド(500円)へ。第1試合の三塁側が旭川北高校なので、道産子の私は迷わず三塁側。応援団にのみこまれるアルプスは、なかなかいい雰囲気だ。評論家ではなく、のめりこんで見られる。高校野球に起こるドラマを楽しめる。一緒になって涙も出る。
 炎天下の観戦は大変だが、スタンドの上の方は、意外に涼しい風が吹く。3試合を見たところでギブアップして帰宅の途についた。

 今年就職した三男が、お盆休み明けに配属先へ赴任する。日曜日に発って行った。
 長男と妻は、長時間出かけるのが無理なので、私の行動は、一人か、あるいは家でゴロ寝となる。次男は、世間が休んでいるときに逆に忙しい仕事なので、今回も顔を見ることはなかった。

 テレビばかりでは飽きてきて、16日にユニバーサル・スタジオ(USJ)へ出かけた。家から出発したのが9時だから、かなりの出遅れである。しかもピークの時期に。USJは、開園当初以来3年ぶり。入場券の他にアトラクションの優先入場チケットを買えば、待たずに入ることができるのだが、私は今回、さほど数をこなす意欲も持たず、ゆっくりと園内で過ごすだけでいい、という余裕の心境にあった。

 それでも、これだけは外せないのが「ターミネーター2」。この見事なまでの立体映像を見ないわけには行かない。午前中にこれだけを見て、いったん園外に出て、KUA'AINAでハンバーガーを食べた。世界一のハンバーガーをこの場所で食べるのもまた美味しい。午後は、バックドラフト、ジョーズ、ウォーターワールドなどを観て、あとはのんびりと、写真を撮ったり、ビールを飲んだり。16時からのパレード、その場所取りは、さほど激しくもなく、楽に良い場所で見られた。音楽もGOOD。ここでは園内全体に流れる音楽が、ムードを作っている。夜8時から湖で行われるショーは、これもまた苦労なく絶好の位置で観られた。これもUSJでは欠かせないもの。これを観ずに帰ってしまう人が可愛そう。

 ここにはアメリカそのものがある。アメリカの街と、映画と、食べ物に徹しているので、明快だ。ところどころで観られるストリート・ライブもいい。

 ユニバーサルスタジオはリピーターが少ないそうだが、私は、これなら何度も来てみたいと思う。しかし、この次に来るのはいつか。楽しみにしておこう。

 しばらく海外旅行をしていないが、今回はこれでアメリカ旅行でもした気分。何となく過ごした11時間だったが、充分にかみしめながら、これだけで旅行記が書けるような一日だった。


2004.8.8(日) 感動の日


 
昨日は感動の日だった。

 「江戸川エキサイティング花火2004」の日である。これを見なかった人に、いくら懸命な文章表現を駆使しても、十分にお伝えすることはできないと思う。昨年、yuppeのお奨めを聞いて見に行ってから、日本の、いや世界の花火大会の中で、これほどエキサイティングで感動を与えてくれる花火大会はないと思った。昨夜はyuppeも会社のグループで行ったはずなので、少なくともyuppeには共感を得られると思い、書くことにする。
 私の場所取りは午前10時頃から。昨年よりもさらに中央に近く、さらに前に。広い江戸川の河川敷が観覧場所となるので、ここまで至近距離にこだわらなければ、もっとゆったりと、それでも十分に近い花火が見られる。しかし私は、とにかく前へ行かなければならない。いい所があった。一人分には十分のスペースだ。隣の人に聞いたら、この場所は7月半ばから取っているそうだ。早い人は7月初めからだと言う。つまり私のこの場所は、半月以上も前から取った人と同じ場所だということになる。
 場所を確保した後は、篠崎公園を散歩したり、小岩駅の方へ歩いて、喫茶店やラーメン屋などに寄って涼をとる。
 夕方になり、空の様子が怪しくなってきた。雨がわずかに降って、それはすぐにやんだのだが、風が無くなった。花火にとって風は無くてはならないもの。特にこの花火大会は、集中して打ち上げるので、その後に残る煙が風で去っていかないと、次の花火が煙の中でかすんで見えなくなる。同じ時に戸田の花火大会へ行ったというウランちゃんからメールで、全くその状態だったとの報せがあった。そうなると、雨よりもたちが悪い。花火が全然見えなくなるのだ。

 心配の中、午後7時15分に始まった。オープニングのプログラムは、最初の5秒間に1000発。興奮する花火大会の幕開けである。これを文章で表現するのは無理だ。写真も一応撮ったが、安いデジカメではうまく行かない。それでも、時々撮った写真はぜひトップページで公開したい。
 8つのプログラムには、それぞれテーマがあって、私の眼の前にある大スピーカーから流れる解説と音楽を聴きながら、カメラのファインダーには収まらないワイドな花火に、周りからは歓声が上がる。こんなのは初めてだと言う声が行きかう。
 問題の煙は、開始直後から風が出始めて、心地よい中で、とてもきれいな花火が見られるようになった。

 2番目のプログラム「大地誕生」では、山の形のナイアガラと花火の組み合わせで、よくある仕掛けやナイアガラとスターマインの組み合わせとは比較にならない。全体にどのプログラムも、最初と最後に度肝を抜く集中打ち上げを入れている。

 「真夏のクリスマス」は、クリスマスのイルミネーションらしい構成で、様々な色がとてもきれいだった。
 「ハチノスツツイタ」は、蜂がブンブン飛び回るような花火の組み合わせだが、これをプログラムとして構成するぐらいだから半端ではない。色の組み合わせ、この種の花火では見たことのない巨大で色のきれいなのもあった。ここでも最後の集中打ち上げでは空が蜂でいっぱいになった。

 「グリーンフラッシュ」も、最後の「ゴールドラッシュ」も、徹底したテーマへのこだわりと集中度で、私は思わず感激で、わなわな泣いてしまう。「ゴールドラッシュ」は、オリンピックでニッポンの金メダルラッシュを願ってというふれこみ。夜空が金色一色になり、見ている人に感動の駄目押しをする。

 花火大会が大好きな私にとって、この花火大会は世界一と位置づけたい。
 花火大会は、常に最も近いところで見るようにする。花火が見える場所は広いし、遠くからでも見える。しかし見えることと、最高の感動を得る場所で見ることとは随分違う。江戸川の花火大会を、至近距離で見たことのない方に、ぜひ一度、来年でもお奨めしたい。かなり幅広いエリアで、至近距離に近い状況が味わえるので、大人数なら当日の午前中、私のように一人とか二人ぐらいなら、最高の場所にねじ込むこともできる。夕方から出かけるなら、少し離れた河川敷になる。

 さて、もう一つの話題。サッカーのアジア・カップ。帰宅して後半から見たが、実は前半から、ラジオでテレビ音声を聞きながら歩いたり電車に乗ったりして、状況は掴んでいた。サッカーの中継はテレビの音声だけでも様子が手に取るようにわかる。きっと周りの帰りの群衆のほとんどの人は、この試合経過を知らない、と思うと、人に教えてあげたくもなるが、静かに優越感に浸る。

 日本の国歌に対するブーイング、日本がボールを持つとブーイング、中国に不利な判定があるとブーイング。試合終了後の暴動。この状態で、2008年のオリンピックは開催できない。「対象は日本だけで、他の国に対してはそんなことはしない」と言うだろうが、そのようなことを競技の場に持ち込むことが問題で、また、中国政府が戒めても意に介さない人々がほとんどだということが恐ろしい。
 日本選手も日本のサポーターも、全く反応をせずに、低レベルのマナーには反発よりも無視をする構えだったのが良かった。試合後に競技場から出られず、2時間以上も経って中国側が用意したバスでホテルなどへ戻った日本人サポーターたちは、怖かったと思う。ちゃんと各々のホテルに戻れただろうか。
 
 中国から見れば人口10分の1の「小国」日本。経済の面だけでなく、こういう面でも本当の大国になれない中国の悩ましさを露呈した現象だった。
 私の北京旅行のとき、郊外の盧溝橋を見に行くため、路線バスに乗っていたときのこと。行き先を紙に書いて車掌に示して切符を買っているのを見ていたであろう後ろの席の年配の男性、おそらく戦争を知っている世代の男性が、私が降りるべきバス停に停まったとき、私の肩をたたいて、親切に教えてくれた。反日教育のシンボルとなる盧溝橋や抗日戦争記念館の展示を見て、私はその年配男性の優しさとのギャップを感じた。中国の若者はいま、反日教育を受けて育っている。


2004.8.3(火) 最後まで諦めないこと


 
サッカーのアジアカップ。きょうの準決勝は、死闘とも言える消耗戦で、しかも最後まで勝負がわからなかった。後半40分に1点リードされ、今度ばかりは、もはや負けたかと思わざるを得なかった。一人少ない苦しい戦いが、高温の中、足元はズルッと滑る悪条件下で時間を刻む。さらに、日本へのブーイングの嵐と、随所に首を傾げたくなる審判のジャッジ。それでも日本選手は、判定にも、相手のファウルまがいの激しいタックルにも一切態度を変えず、平然と力を振り絞ってプレイをしていた。
 
 準々決勝のPK戦もそうだったが、日本側に不利に働くいろんな要素に打ち勝って、崖っぷちで逆転をする勝利は、きっと日本のサッカーの歴史に残る。「ドーハの悲劇」も、忘れられない試合だが、この2つの試合は、諦めてはいけないことを教えてくれる素晴らしい歴史的な試合だ。

 ちょうどこの2試合を、帰宅して途中から見ることができたのは幸せだった。

 それにしても、この大会を中国で開催しているのだが、日本へのブーイングがあれほど徹底して行われるのには幻滅を感じる。4年後にオリンピックを開催しようと言う国が、こういうことではなあ、と思う。新聞で読んだが、北京で行われている試合では、5万人の入場者のうち2万人が偽造チケットで入ったらしい。中国へ行って、地べたを歩いて見た私には、こういう色々な面がよくわかる。

 決勝は7日(土)午後8時54分からテレビ朝日系。今度は北京で行われる。その決勝戦の相手は、中国とイランの勝者。どっちにしてもまたブーイングの嵐を浴びるアウェイの試合になるだろうが、今日のように落ち着いて戦って欲しい。土曜日は江戸川の花火大会があるので、またこのサッカーを見るのは終盤のいいところだけになるか。


2004.7.31(土) 餃子の王将


 
餃子の王将で昼ごはんを食べた。駒込駅の近くだ。定食のメニューは色々あるが、この店においては元祖とも言える「餃子定食」を注文した。午前中は歩いたし暑かったので、特に美味しいご飯となった。
 さすが、餃子の王将。餃子は、な・なんと、2列12個が大皿に載って出てきた。大満足の昼食。スタミナが付いて、元気になった。

 高校野球も大阪はPL学園が優勝して甲子園出場を決めた。これで全部がそろった。
 ところで、データを調べたら、大阪よりも激戦区があった。神奈川だ。大阪は190校。神奈川195校。神奈川の代表は、あの松坂大輔の横浜高校。選挙の一票の格差じゃないが、これほど格差の大きいものはない。鳥取は27校、昔から強豪のイメージがある高知だって32校。高知の代表は、7年連続明徳義塾。
 昨日、大阪には、全国大会に出ても十分優勝できるチームが4つぐらいと書いたが、よく考えてみると、8つぐらいあると言ってもいい。ところが、その大阪の代表が、いざ甲子園では必ずしも勝ち進まない。PLが圧倒的だった時代は過去の話。清原、桑田、立浪、松井(メッツ)、福留、・・・書ききれるわけが無いほど有名選手を輩出している名門校だが、今年はどうか。
 東京では、西東京の日大三が群を抜いている。実力の早実は予選で早々に負けてしまった。ダルビッシュを擁する東北高校はかなり期待できる。
 全国の都道府県から代表が出て戦う甲子園は、まもなく開幕。今年は見に行けないかも。


2004.7.30(金) 高校野球


 
夏の高校野球は、全国各地から代表校が続々と決まり、残るは大阪だけとなった。
 
 先日の日曜日には、私も神宮球場で東東京大会の準々決勝を観戦した。どんな強豪チームも負ければ終わってしまう厳しいトーナメント戦。どのチームも絶対に最後まであきらめない試合なので、最後まで目が離せないドラマが展開される。負けたチームの選手、応援団が涙するのもよくわかる。もらい泣きまでしてしまうのだ。
 大阪の決勝、PL学園vs大阪桐蔭が、きょう藤井寺球場で行われたようだが、延長15回4対4、引き分け再試合となった。がっぷり四つの横綱対決らしい様子が想像できる。明日の再試合も、台風のために雨の予報だから、さらに延期か、それとも雨の中の泥仕合か。どちらが勝っても楽しみな甲子園になる。
 高校野球は予選の段階から、いや、さらに春や秋の大会も見ていると、チームのことや個々の選手のことまで印象に残る。いま中日ドラゴンズの福留がPLのとき、万博球場で何度も何度も見たものだ。度肝を抜くバッティングだった。
 私がこれまで見てきた印象では、東京よりも大阪の方がレベルが高い。大阪府全体で1校しか甲子園に行けない最激戦区を勝ち抜くには、実力と運が必要で、最後の1校が本当の実力校とは限らない。私の見たところでは、大阪から4校ぐらいが全国大会に出ても、どれも十分優勝できる可能性を持つ。

 夏の甲子園には、さらに魔物が住んでいて、ドラマが展開される。


2004.7.24(土) 富士登山


 
今年の富士登山は、4人で行くことになった。私以外の3人は初めての富士登山。
 17日、先週の土曜日、3連休の初日にあたる。往きも帰りも中央自動車道の混雑は避けられないが、やはり車の方が、時間の自由が利くので楽だ。運転する人が大変なのはもちろんで、大変恐縮ではある。

 天気がどうなるか、山の天気だから、予報はあてにならない。結果的には、ちょうどこの日だけ、頂上付近が雲の中になった。しかし、これも結果的に楽だったのは、強い日差しがなく、涼しい登山だったこと。いままでの経験では、空気の薄い8合目から上で太陽に照りつけられると、高山病と日射とでとても苦しいことになるので、年とともに体力が落ちている私と、初登山の3人にとっては、良い気象条件だったともいえる。
 8合目から上は雲に包まれていた。つまり頂上は雲の中。霧と風の中だ。この状態で頂上まで行ったのは私の10回の富士登山の経験の中で初めて。頂上からの景色は味わえないが、頂上まで行ったということだけでも4人でいっしょに味わった意味はある。富士山へ行ったという話をするときに、頂上まで行ったのかどうかで価値が違う。

 今回の登山道は吉田口。最も登山者の多い道だ。一日目は七合目の鳥居荘で宿泊。さすがに連休らしく、客が多い。団体客が大半だ。ところが、団体客の多くは、翌日の朝の天候を見て、そこから下山していった。我々は天候を見ながら上へ登ったのだが、多くの団体が七合目か八合目ぐらいから下山していったおかげで、頂上付近の混雑がなかった。

 富士登山の回を重ねるごとに、だんだん苦しくなっていく。運動不足で心肺機能が低下しているのだ。空気が薄くなるということが、こんなにも苦しいことだったのかと年を追うごとに感じるのだ。

 富士山のトイレがどんどん改善されていく。この設備には費用がかかるので、公的な補助金と利用者のチップで賄われる。ぜひこの路線は、うまく維持されてほしい。1回100円のチップを入れない人もまだまだ多いらしい。とんでもない。

 さて、来年も富士山に登るかどうか。まだまだ今のところ考えられない。それほど私にとっては、年々辛い挑戦なのだ。

    写真集「富士登山2004」http://www.geocities.jp/usubuchi43/newpage202.htm


2004.7.10(土) かけこみ乗車の危険


 
電車ではなくバスのかけこみ乗車の話。
 きょう、バスに乗ろうとするときのこと。バス停に向かって歩道を歩いていると、バスが通り過ぎていった。30メートル先のバス停には数人の人がいたので乗車に時間がかかるだろうから、走っていけば間に合うと、とっさに判断して私は歩道上を走ったのです。ここのバスは15分ぐらいの間隔なので、暑い中で待つことを考えると、ここはぜひダッシュして乗ろうと思うのは普通の判断だと思う。
 あと5メートルのところでした。歩道が少し登りになっていたのだと思います。足が何かに引っかかったんでしょう。足腰は自分の過去のイメージとは裏腹に、かくも弱くなっていたのか。止まっているバスの横で、乗客もバスの窓から見ていたでしょう。野球のヘッドスライディングは、見ていても自分がするとしたら怖い気がするのですが、それをなんとコンクリートの歩道の上で初めて実践したのです。眼鏡は飛び、右のてのひらを打って擦りむき、左ひじ、左手の甲、左足の膝などに擦り傷をいっぱい作りました。不幸中の幸いは、全部擦り傷だけだったこと。それは、スライディングだから。転んだのではなくて、滑り込んだから。しかし、そのときにそんなことを考えたわけでもなんでもない。一瞬の出来事でした。
 そのあと私は、手をついて起き上がり、眼鏡を拾ってかけなおし、次のバスに乗ろうと決め、傷の箇所を見回した。ふと見ると、バスがドアをあけたまま止まって私を待ってくれているではないか。それなら乗るしかない。バスの前の入口ドアまで行って、料金の200円を出そうとしたときに、小銭入れが無いことに気づいた。振り返ると、転んだ場所に落ちている。それを取りに戻って、ようやくバスに乗る。200円は無くて、500円硬貨を出し、どこに入れるのかを運転手に聞いて入れた。私のために費やしたロスタイム。皆さんにご迷惑をかけました。
 もう一度考えてみると、走りながら小銭入れをポケットから出したときに転んだのだ。
 バスの車内では、擦りむいた傷から血がにじんでくる。途中で降りて、スーパーで消毒薬とカット絆を買い、トイレで洗い流して手当てをした。

 足腰は年齢とともに弱っている、とわかっていても、こういう体験をしないと実感がなかった。いい経験でした。


2004.7.5(月) TOPページ写真


 
このごろ、写真を撮るようなところに行く暇がなくて、また、花もこの時期には少なくなり、毎日掲載するTOPページの写真は、過去のいい作品を引っ張り出して、リバイバル作を取り混ぜていくことにしている。きょう掲載した国営昭和記念公園のチューリップは、この春私が感動した花の場所一つ。一度TOPページに使ったことがあるし、花アルバムにも載っている。でも、一日だけのお披露目だったので、せめてもう一度皆さんに見て欲しい、という私の願いです。


2004.7.4(日) 地下鉄シリーズ


 
大リーグのヤンキース対メッツの試合が、この週末、午前中のテレビを賑わした。日本で言うなら、巨人と日本ハムの対戦みたいな試合。リーグの違うチームの交流試合だが、もちろんこれもリーグ成績になるので真剣な試合になる。弱いはずのメッツが勝つのが面白い。
 両チームの本拠地球場は、どちらも地下鉄の沿線にあるので、地下鉄シリーズの異名がある。今週行われたのはメッツの本拠地「シェイ・スタジアム」。私は7年前の旅行でこの球場に行ったので、テレビで見るシーンがどこか身近に感じられる。


2004.7.3(土) モーツァルト


 
午後9時からのテレビ番組でモーツァルトのことが特集されていた。250年前に生きたモーツァルトが、音楽の天才であったことは言うまでもないが、35歳までの短命の間に、よくもあれだけたくさんの、しかも完璧な音楽を残したものだ。
 最後に古楽器を使って、ピアノ協奏曲第20番を演奏した。第一楽章だけだったが、この曲は第2楽章の哀愁を表現するような旋律がとてもいい。
 ピアノ協奏曲といえば、チャイコフスキーの1番、ラフマニノフの2番、そしてこのモーツァルトの20番が、私の好きなベスト3だ。

 ウィンブルドンで、17歳のシャラポアが優勝した。新しい星の誕生。杉山愛も、ベスト8で敗れて本望だろう。ロシア人なのにインタビューは英語でペラペラ。アメリカのフロリダ育ちなんだ。テニスの試合を見るのは、この大会ぐらいだから、どんな選手がいるのかもよく知らない。優勝した後、コートから母親に携帯で電話をかけようとするところがまさしく現代の光景か。

2004年7月-8月